【動画】ジェイソン・デイ物語 Never Say Die~あきらめるな~
- 2016.10.21
- トピック
プロローグ
~語り:ジェイソン・デイ~
素晴らしい旅だった。これまでの人生を振り返り、語れる時がきた。
*
もしも父さんがいたら、僕は今ここにいなかっただろう。もしも、父さんが生きていたら、PGAツアーで活躍する機会は訪れなかっただろう。
とても不幸な出来事と引きかえに、大きなチャンスが僕に訪れた。とても悲しい出来事だったけど、僕の人生は良い方向へと変わっていったんだ。
NEVER SAY DIE
~あきらめるな~
ゴルフとの出会い
~語り:ジェイソン・デイ~
Beaudesert, Queensland, Australia
ボーデザート、クイーンズランド、オーストラリア
僕が生まれた頃、この町の人口はだいたい3000人くらいだった。僕は牧場で育った。
牛を育てたり、羊の毛を刈ったり、そう、僕達はとても貧しかった。父さんと僕、そして家族はゴミの山、つまり埋立地のようなところによく行っていた。家具や家で使えるものを拾うために。
ある日、そこで3番ウッドを見つけたんだ。僕が3才の時だった。
僕は最初、そのゴルフ・クラブでテニスのボールを打って遊んでいたんだ。長いクラブを自分に合わせて短く切って使っていたよ。
ボールを打って振り返ると、母さんが「この子はいつかチャンピオンになるわね」と言っていたよ。
ゴルフを本格的に始めた小学生の頃
~語り:ジェイソン・デイ~
僕はすぐにゴルフを好きになった。でも、ゴルフに打ち込むにはあまり恵まれた環境ではなかった。でも父さんは学校が終わると、いつも僕をゴルフ・コースに連れていってくれたんだ。
ボーデザート・カントリー・クラブ、そこはカントリー・クラブと呼べるものではなく、ただのカントリー(田舎)だった。僕は学校が終わると、暗くなるまで毎日そこに入り浸っていたんだ。
子供の頃はゴルフが大好きで、純粋にプレーを楽しんでいた。そして、大会に勝つたびに、ゴルフがどんどん好きになっていった。
僕はすぐに“ゴルフが上達する喜び”の虜になったよ。
ジェイソンの最初の転機
~語り:デニング・デイ(ジェイソンの母)~
2000年に主人が病気になり、すべてが変わってしまったのです。主人が亡くなると、貧しいながらもそれまでなんとか保っていた家族の調和が崩れ、ジェイソンは逃げるようにお酒を飲むようになりました。
ジェイソンは道を踏み外しかけていたのです。私は彼が自分の才能を無駄にしているのを見ていられませんでした。あの頃のジェイソンは自暴自棄になっていました。
父が亡くなった頃の家族と自分について
~語り:ジェイソン・デイ~
父さんの所に駆けつけた時、すでに父さんは亡くなっていた。父さんは、ただそこに横たわっていただけだった。
息はしていないし、なにもしていなかった。僕が覚えているのは、ただ横に座ってそんな父さんを見ていたことだけ。
なにも言葉がでてこなかった。もしもあなたが12才の時に父さんを亡くしていたら、なんと言いますか?それは12才の少年にとって本当に辛いことだった。それから僕は問題を起こすようになり、お酒も飲み始めた。そして毎日ケンカに明け暮れるようになったんだ。
姉さんは家出をして、4年間も家に帰ってこなかったよ。たぶん野宿をしていたのだと思う。正直どこに居たのかは知らないけど。
そして姉さんが家出から帰って来たときから、母さんのしつけがとても厳しくなった。それまでは、母さんは僕達兄弟を抱きしめて諭してくれる、とても優しい母親だった。だから、(家族の長として)厳しいしつけ役に徹することは、母さんにとっても辛いことだったと思う。
家族がおかしくなりかけた頃、母さんは一つの決断をしていた。そして、僕にこう言ったんだ。
「おまえには才能がある。だからコラルビン校へ行きなさい」
家族の進むべき道について
~語り:デニング・デイ(ジェイソンの母)~
主人が亡くなった時、少しだけお金があったので、私は娘達に大学に進学するように言い、そしてジェイソンにはコラルビン校(ゴルフ場が併設されたインターナショナル・スクール)へ行くように言いました。
ジェイソンとコリンの出会いについて
~語り:フランク・ノビロ(ゴルフ・アナウンサー)~
私はジェイソンがあの環境に押し潰されなかったことに驚きました。お父さんを亡くした時、お母さんが家のローンを払っていかなくてはならなくなったのです。
大事な時期にこういう不幸な出来事があると、スポーツの世界で成功をすることはとても難しいのです。たとえ、その少年に才能があったとしても、すぐに消えてなくなってしまうものです。
そんな時、ジェイソンはコリン(現在のジェイソンのコーチ兼キャディ)と出会ったのです。すぐにコリンはジェイソンにとってなくてはならない存在となり、ジェイソンは彼を心から信用するようになりました。
人は多くのライフラインを持っています。しかしジェイソンにはコリンというたった一つのライフラインしかありませんでした。
自分にとってコリンの存在とは
~語り:ジェイソン・デイ~
コリンが僕の人生を変えた。コリンがいなければ、今の僕はいないだろう。
コリンは僕が12才の時から現在に至るまで、ずっと僕をサポートしてくれた。
ジェイソンと出会った頃について
~語り:コリン・スワットン(ジェイソンのコーチ兼キャディ)~
最初にジェイソンに会った時、かれは心から“なにか”に渇望している少年でした。彼は必要以上にそれを欲していました。あの頃ジェイソンの心の中には、お姉さんやお母さん、そしてお父さんをも守らなくてはならないという強い意志がありました。
おそらく、それがジェイソンに「人生でたった一つのチャンスが目の前にある、僕はそれを絶対手に入れてみせる」と言わせたモチベーションになっていたのだと思います。
ゴルフ・アカデミー時代のジェイソンについて①
~語り:リカ・バティバサガ(ゴルフ・アカデミー時代の友人、現プロゴルファー)~
彼は己を捨てていました。
心も身体も、そして魂も世界一のゴルファーになる為の練習に費やしていました。
ゴルフ・アカデミー時代のジェイソンについて②
~語り:ルーク・リアドン(ゴルフ・アカデミー時代のルームメイト)
ジェイソンは僕のところに来てこう言いました。「君は一番早起きのようだから、僕は君と一緒の部屋になりたい」と。
僕らは同室になると、朝は誰よりも早く起床して練習を始め、そして誰よりも遅くまで練習場にいました。でも、ジェイソンは僕よりもずっと遅くまで練習場に残っていました。
目標を失いかけていた頃のこと
~語り:ジェイソン・デイ~
僕はゴルフ・アカデミーの誰よりも一生懸命練習をした。毎朝5時に起きて練習をすることを、誇りに思っていた。なぜなら、僕はゴルフ・アカデミーの誰よりも強く、彼等はぼくを倒すことができないことを知っていたから。
僕はいつでも頭の中で、プレーをイメージしていた。その頃、僕が練習グリーンに現れると皆がこう言うんだ「今日はジェイソンがいるのか。それじゃあ2位争いを始めるか?」
そんな生活をしているうちに、ゴルフを始めた頃に心に抱いていた「プロフェッショナルになって同僚のプロ・ゴルファーと戦いたい、そして世界一のゴルファーと戦いたい」という思いが薄れていってしまった。
ゴルファーとしての岐路にいた頃のジェイソンについて①
~語り:コリン・スワットン(ジェイソンのコーチ兼キャディ)~
その頃すでに、ジェイソンは競技者として十分な実力を持っていましたが、優勝に対する貪欲な気持ちを失ってしまい、本当に苦しんでいました。
ゴルファーとしての岐路にいた頃のジェイソンについて②
~語り:エリー・デイ、ジェイソンの妻~
彼はトーナメントを放棄して、悪態をつきながらゴルフ・クラブを放り投げ、そしてゴルフ場で泣いていました。
彼はそれから2年ほど、とても大きな試練を経験しました。なぜなら、彼はいつも試合には勝っていたのに、自らそこを離れたのですから。
それはとても辛いことだったと思います。
ゴルファーとしての岐路にいた頃のジェイソンについて③
~語り:ジェイソン・デイ~
あの時、自分が進む道は2つあった。大きなプレッシャーを背負うことになるけど、とても素晴らしい、本当に素晴らしい未来に向かって踏み出せるかどうかの瀬戸際にいたんだ。
あの時僕は、馬にまたがり夕日に向かっていくような、のんびりと気楽で平凡な幸せのある道を選ぶこともできた。
でも僕は安易な道は選ばず、とても怖かったけどもう一つの道を選んだんだ。“世界一のプレイヤーになって、世界中の誰もが僕を知っているようになる”という道を。
ジェイソンとコリンが世界一を目指していた頃のこと
~バド・マーチン、ジェイソンのエージェント(代理人)~
彼はお金の為に契約書にサインをしたことは一度もありませんでした。
彼と初めてテーブルについたときに話題に上ったのは、世界一のプレイヤーになることについてだけでした。そして、それが彼にとって唯一のゴールだったのです。
ジェイソンの目標はとても高いものでした。しかし、世界一になる為のジェイソンとコリンのゲーム・プランは完璧でした。
2015年BMW選手権2日目の18番ホール。ジェイソンのイーグル・パット
~実況:リッチ・ラーナー、ゴルフ・アナウンサー~
He is in the zone, and he’s unreachable! Untouchable! Unreal!
~彼がゾーンに入った!もうだれも追いつけない!触ることもできない!信じられないほど素晴らしい!~
※初日を61打でホール・アウトしたジェイソン・デイは、2日目の18番で12mのイーグル・パットを沈め63打をマーク。通算18アンダーとして独走状態に入った時のラーナー氏の実況。
世界一のゴルファーになることを決意した頃のジェイソンについて
~語り:エリー・デイ、ジェイソンの妻~
彼があそこまで激しい練習をするのを見た事がありません。
ジェイソンは、彼に関わる全てのことに対して献身的に取り組みました。そして彼は全てのものを手に入れました。
それは、彼が人一倍努力をした報酬として得ていったものなので、私はそんな彼を見ているのがとても幸せでした。
ジェイソンの運命について
~語り:デニング・デイ(ジェイソンの母)~
昔のことを思い出しては、ジェイソンの運命は定められていたと信じています。なぜなら、彼は思い描いていた夢を現実のものにしたのですから。
彼は幼い頃から、強い決意を持っていました。どんなに辛いことが起こってもそんなことは関係ないのです。
夢を持って、そして全てのハードルを乗り越えてゆく為に学んでいけば、だれでもその夢に手が届くのですから。
自分を支えてくれた人達について
~語り:ジェイソン・デイ~
ゴルフと出会っていなければ、今の僕の人生においてなくてはならない人達に出会えなかったと思う。
コリンやバド、エリーや息子のダッシュ、そしてこれから生まれてくる新しい家族。
僕はゴルフだけではなく彼等にも支えられてきたので、どちらに対しても一生懸命恩返しをしていきたいんだ。
ジェイソンと一緒にいて一番の誇りは?
~語り:コリン・スワットン(ジェイソンのコーチ兼キャディ)~
私はよく「ジェイソンと一緒にいて一番の誇りに思うことは?」という質問を受けます。そして、私はこう答えます。
「ジェイソンは偉大な父親であり、エリーにとっては素適な旦那であり、つまりそういうジェイソンこそ、私がもっとも彼を誇りに思うところです」
12年前、彼は毎晩お酒を飲んで遊んでいました。あの時、あのまま安易な道を選ぶことはとても簡単だったはずです。
でも、ジェイソンは強い意志で今の道を切り開いてきたのです。
2015年BMW選手権最終日、18番ホール、ジェイソンが優勝した瞬間
~実況:リッチ・ラーナー、ゴルフ・アナウンサー~
There is a new number one in golf and for first time Jason Day is on top of the world!
~さあ、新しいナンバー1ゴルファーの誕生です!ジェイソンデイが初めて世界のトップに立ちました!~
Never Say Die あきらめるな
~語り:ジェイソン・デイ~
これは僕の物語ではない。すべての人達の人生において、同じようなことは起きている。そして、僕はみんなと同じように一生懸命努力しているだけなんだ。
自分の全盛期が終わるまでに、できるだけ多くの試合に勝利して「あきらめるな」というメッセージを全ての人に伝えていきたい。
父さんがいつも言っていた言葉。
Never Say Die
あきらめるな
※尚、本コラムは動画の全編翻訳というスタイルとなっております。内容につきましては筆者がニュアンスを重視して翻訳をおこなっており、「直訳」になっていない箇所もございますので予めご了承ください。
(完)