だから面白い!歴史に残る個性派ゴルファー達⑤パットが上手すぎて嫌われた!?ボビー・ロック編
トレードマークは白くて丸い鳥打帽子、恰幅のいいロックのスイングは、極端なクローズドスタンス。インサイドに上げたテークバックから常にドロー、フック一辺倒の持ち球でした。そのスイングを評するに「クジラが転げまわる格好」とジョークとしか思えない表現が残っています。
しかし、ジーン・サラゼンが「ふるまい、風貌、私の周りにいる仲間の中で一番不思議」と語っており、そう的を外れた表現ではなさそうです。
ロックのスイングを見た新聞記者が、ロックに向かって「左手のグリップが弱い」とまるでコーチのように話し始めた時、ロックは「いや、私は右手で賞金の小切手をもらうから、どうぞご心配なく」とかわしています。
スイングに関するエピソードがもう一つ。
あるマッチプレーで、相手のヘンリー・コットンが「死ぬまでに一度でいいからボビーのスライスを見たいもんだ」とつぶやきました。するとロックは1番から全部スライスを打ち、コットンを5アンド4で破りました。どうやら、お茶目な性格でもあったようです。
そんなロックですが、アマチュアだった南アフリカ時代に9勝し、21歳でプロになると世界中で64勝をあげ、全英オープンでも4勝しています。その強さの秘密は、パターでした。
プロ転向直後に、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスを転戦した2年間で7勝を挙げた時、18ホールのパット数がすべて28以下だった、という驚異的な数字を残しています。
1ラウンド18ホールを回って、各ホール2パットとすると36です。それを28でまわるには、一例として8ホールは1パット、残り10ホールで2パットにしなければなりません。これがどれだけ凄い数字かは、現在のプロでも常に28でまわるのはほぼ不可能と言えます。
5歳からゴルフを始めたロックは、8歳の時には父親と同じハンディ14に上達しました。ロックが一番影響を受けたのが球聖、ボビー・ジョーンズの本でした。そこには「3を2に変えて勝つ」とありました。3パットは絶対しないで2パット、アプローチでは必ず1パット圏内に寄せて2で収める。
この考えに傾倒したロックは、幼い頃からショートゲームを猛烈に練習しました。パットは1ラウンド30を目指し、28を目標としました。そんなロックが残した言葉が、「アウトドライブされることを気に病むのは愚につかない見栄だ」があります。
1ラウンドでドライバーを使うのは多くて14回、パターは30回以上です。飛ばすことに気を使うよりも、練習すべきことは明白、と言うのです。
ボビー・ロックの本名は、「アーサー・ダーシー・ロック」で、なぜボビーとなったかは不明ですが、おそらく影響を受けたボビー・ジョーンズにあやかったから、と言われています。
アメリカPGAツアーには1947年から2年6ヶ月参戦し、59試合に出て13勝を挙げます。ベン・ホーガン、サム・スニードら強豪と戦っての優勝です。さらに、2位が10回、3位7回、4位が5回と、実に59試合中35試合で4位以内と安定した成績を残しました。
4回優勝した全英オープンでも、1950年と1952年は一度もドライバーを使わず優勝しています。どれだけドライバーで飛ばしても、イギリスのリンクスコースでは、はね方で深いラフに吸い込まれることがあります。ロックはリスクを最大限回避して、自分の得意なショートゲームに持ち込んで優勝します。戦略的にも優れていました。
1949年、ロックは全英優勝後、ヨーロッパに留まりました。しかし、その間に米ツアーに出場しなかったのは規約違反と、米PGAはロックを永久追放しました。サラゼンは「この30年間にゴルフ界でなされた最も恥ずべき行為」と嘆き、周囲も追放の真相はロックのパターが上手すぎるからだと語られました。
1951年に追放は解除されましたが、ロックはアメリカに戻りませんでした。イギリスを主戦場として、全英オープン4勝を残します。その後、1960年にヨハネスブルクで自動車を運転中、踏み切りで列車と衝突事故を起こしてしまいます。意識不明だったロックがベッドで意識が戻った時の最初の言葉が、「私のパターは無事だったかね」でした。
ロックのパターはゴルフを始めたばかりの時に、父の友人からもらったヒッコリーシャフトのブレード型パターでした。あまりにもロックのパットが入るので、仲間がこのパターにつけた愛称が「ガラガラへび」。ロックは「パターは生涯の伴侶。浮気者に名手はいない」との言葉も残しています。
この事故の影響で、ロックは引退を余儀なくされました。余生を指導者として過ごしたロックが育てたのが、メジャー9勝を挙げ史上3人目の「キャリア・グランドスラム」を達成したゲーリー・プレーヤーでした。
この時代、ベン・ホーガン、サム・スニードといった個性派、強豪も多かった中で、パター一筋、嫌われるほど強かったボビー・ロック。彼らの戦いを一度観戦したかったものです。