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1999年全英オープン/バンデベルデの悲劇~“あの日”彼が失ったモノとは~

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「2位の選手のことは誰も覚えていない」

アメリカはニューヨーク州出身、競技ゴルフを確立した往年の名ゴルファー、ウォルター・ヘーゲン選手の言葉である。勝負の世界においてしばしば引用される、非常に重厚感のあるフレーズだ。

確かに、印象に残っているトーナメントでもチャンピオンのことは良く覚えているが、2位以下の選手のことはほとんどの人が忘れてしまう。

しかし1999年、スコットランドはカーヌスティー・ゴルフリンクスで行われた全英オープンは、ヘーゲン選手の言葉が当てはまらないトーナメントとなった。

ジャン・バンデベルデ(ジャン・ヴァン・デ・ヴェルデ)。

Jean Van De Velde of France

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この年の全英オープンは、この無名のフランス人選手に始まり、そして終わった。

トーナメントの優勝者は、地元スコットランド出身のポール・ローリー選手であった。しかしローリー選手の大逆転劇にスポットライトが当たることはなく、バンデベルデ選手の悲劇のみが、後世にまで語り継がれることとなる。

「カーヌスティの悲劇」、または「バンデベルデの悲劇」として、最終日の18番ホールでのこの出来事は良くも悪くも、もっとも有名なプロゴルフにおけるエピソードのひとつとなった。

魔の18番ホール

Jean Van De Velde of France

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1999年。4大メジャー大会の1つ全英オープン最終日。2位に3打差をつけての18番ホール、パー4。

ダブルボギーの6打でホールアウトできれば優勝。誰もがバンデベルデ選手の優勝を疑っていなかった。

全てのショットにおいて、曲げたり、距離を間違えば深いラフや蛇のように絡みつく“バリー・バーン”と呼ばれるクリークが待ち受ける攻略の難しい18番ホール。ところが、ティーグランドでバンデベルデ選手が手にしたクラブは、ドライバーであった。

ゴルフコメンテーターのレジェンド、BBC(英国放送協会)のピーター・アリス氏は、その時の模様を次のように実況している。

BBC commentator Peter Alliss

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「さあ、どうする…?どうする…?おっと、彼はドライバーを手に取りました。私にはこれが正しい選択かどうかを判断することはできませんが…。」

また、スポーツイラストレーター誌の記者、リック・レイリー氏は後日、次のように語っている。

「バンデベルデ選手は、18番のティーショットでドライバー使う必要はなかった。残り1ホールで3打差を守る為に必要なゴルフクラブは、ウェッジとパターだけだよ。」

さらにこの年の全英オープンでは、アメリカのテレビ放送でコメンテーターをしていた、全米オープンで2度の優勝を誇る名ゴルファー、カーティス・ストレンジ氏も、

「人を悪く言うことは嫌いだが、これは私の人生で出会ったもっとも馬鹿げた出来事だ」

と、バンデベルデ選手の18番ホールでのプレーを酷評した。

Champions Tour - 2007 Bank of America Championship - First Round

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バンデベルデ選手は最終ホールで、ラフ、クリーク、バンカーと、全てのハザードに捕まりながらも何とか最後に2メートルのパットをねじ込み、トリプルボギーの7打でホールアウト。ジャスティン・レナード選手、ポール・ローリー選手と3人でのプレーオフとなったが、優勝を逃すことになった。

バンデベルデの悲劇

さて、バンデベルデの悲劇の概要の説明が終わったとことで、まずは1999年全英オープン最終日、18番ホールでのバンデベルデ選手のプレーをご覧ください。

動画は、前出のBBCのピーター・アリス氏が実況しているものを選んでみました。日本語のキャプションはついていませんが、現地の雰囲気がもっとも良く伝わる、とても臨場感のある動画ですので、現地のスポーツバーでテレビ観戦をしているような気持ちでご覧ください。

いかがでしたでしょうか?見ている方が辛くなってしまいますね。

さて、ここまでのお話はプロゴルフのエピソードでは世界的に知られているのでご存知の方も多いと思いますが、ここからが本題です。

今回のコラムのテーマ「“あの日” バンデベルデ選手が失ったモノ」の核心へと移ります。

“あの日” バンデベルデ選手が失ったモノとは

Jean Van De Velde of France

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確かにバンデベルデ選手の最終日、18番ホールでのコースマネージメントは一般的なセオリーからは完全に逸脱していました。

結果論ではありますが、筆者も解説者やコメンテーターの方、またスポーツ記者の方の判断が正しいように思います。アイアンでのレイアップを選択し、ボギーでホールアウトができれば、全英オープンの優勝という名誉を手に入れることができたのですから。

ではなぜ、バンデベルデ選手はあのような選択をしたのでしょうか?

これまであまり語られることのなかったバンデベルデ選手の“あの日”の真実に迫るインタビューが、今から約9年前(悲劇から8年後)、アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNにて収録されています。

こちらも日本語のキャプションはありませんが、8分37秒と短い動画となりますので、バンデベルデ選手とESPNのキャスター、トム・リナルディ氏の少し意地悪な表情に注目しながらご覧になってみてください。

番組内でリナルディ氏は、意地悪な質問を次々に繰り出します。

「あなたは勝つ為にゴルフをしているのではないのですか?」

「もちろん、勝つ為にプレーしているさ。勝つ為に自分のプレースタイルを変えろと言うなら、その前の16番ホールも17番もその前も全て変えなくてはならない。しかし、そんなことをしたら、僕ではなくなってしまう」

「それは違いますよ、いいですか。3打差で最終ホールだったんですよ。アイアン、アイアン、アイアン、2パットで全英オープンの優勝を手にすることができたのです。他のホールと、“あの時の”18番は違います。あなたは、今でもあの瞬間の自分の判断は正しかったと信じていますか?」

「もちろん、自分の選択が間違っていたとは思っていないよ」

水掛け論にも似たこんなやり取りが続く中、本コラムのテーマに関する質問が、リナルディ氏の口から発せられました。

「“あの日”あなたが失ったモノはなんですか?」

バンデベルデ選手は、その質問に笑顔で答えます。

「失ったモノ?そんなものないよ。僕は、なにも失ってなんかいない。確かに大きな賞金は逃したかもしれないけどね」

バンデベルデ選手のこの言葉から思い知らされたのは、“あの日”に立ち合った彼以外の誰もが、あの出来事を勝手に“悲劇”と浅はかに処理してしまっていたということです。しかし、バンデベルデ選手にとっては単に“勝てなかったゴルフというゲームの1つ”に過ぎなかったのです。

もちろん、勝てなかったことは彼も悔しかったはずです。しかし、それはあくまで結果のお話。彼にはそのプロセスに対して少しの迷いも後悔もなかったのでした。

「いやいや、それはただのやせ我慢だよ」と笑う人もいるかもしれません。実際にトーナメント直後のインタビューでは、次のようなやり取りがありました。

「今回の出来事は、あなたを何年苦しめることになりそうですか?」

「たぶん、永遠に」

しかし、そのすぐあとに彼は笑顔でこう付け加えます。

「だけどね、誰もこんなことを100年も覚えてられないでしょ?」

試合の直後、バンデベルデ選手はロッカールームで我を忘れて号泣していたとのエピソードもあります。しかし、これはあくまで試合に負けて悔しかったからであり、自分の選択に後悔して泣いていた訳ではなかったのです。

「カーヌスティの悲劇」から8年。彼の口から語られた言葉には重みがあり、その表情に敗者の悲壮感が漂う余地は、全く存在していませんでした。

インタビューの後半で、リナルディ氏が「人々があなたの行動から学んだことは何だと思いますか?」と、しつこく意地悪な質問をくりだす場面があります。しかし、ここでもバンデベルデ選手は次のように返しました。

「勝って名誉を得ることは簡単だが、負けてそれを得ることは至難の業だ」

彼は自分のプレーにプライドを持っており、「負けるにしても勝つにしても、自分のプレースタイルを貫く」という彼のゴルフ哲学は、その後もブレることはありませんでした。

事実、「カーヌスティの悲劇」から6年後、同じような出来事が再び彼に起こります。

2005年オープン・ド・フランス(フレンチ・オープン)で、2位に1打差をつけての最終日、18番ホール。

バンデベルデ選手は、“あの日”と同様にドライバーを手にしました。打った打球はクリークへ入り、プレーオフへ。結果、優勝を逃してしまいました。

バンデベルデ選手は、フランスで開催されたナショナル・トーナメントで勝てなかったことに対してはとてもがっかりしていましたが、自分の判断に対してはまったく後悔はしていませんでした。

結局、リナルディ氏(または番組側)が望んでいたであろう「後悔」や「反省」などといった言葉は、バンデベルデ選手の口からは一つも引き出すことができず、代わりに自分のゴルフを貫いた“清々しい敗者”とも言える陽気なフランス人ゴルファーの魅力に、皆が心を奪われてしまいました。

Jean Van de Velde

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意地悪だったリナルディ氏も、最後には自然体のバンデベルデ選手に魅せられてしまい、特集のエンディングの際、バンデベルデ選手についてこのように語っています。

「確かに彼は、“あの日”チャンピオンとしてクラレット・ジャグ(全英オープンの優勝カップのこと)を手にすることはできませんでした。しかし、彼が身にまとっている優しさやユーモア、そして謙虚さを兼ね備えた風格は、まさにチャンピオンそのものでした。他のゴルファーとは違うかもしれませんが、彼は独自のやり方でそこに辿り着いたのです。」

1999年。4大メジャー大会の1つ全英オープン最終日。2位に3打差をつけての18番ホール、パー4。

ダブルボギーの6打でホールアウトできれば優勝。

この場面でドライバーを手に取ったバンデベルデ選手に、心を鷲掴みにされたゴルフ・ファンは世界中に大勢いたことでしょう。

インタビューの中で未来についての質問に、バンデベルデ選手は次のように答えています。

「病気を治して、ここ(カーヌスティ)に戻ってくるよ!近い将来か、それとも少し先になるかはわからないけどね。」

現在、バンデベルデ氏は闘病中でトーナメントへの出場はしていませんが、2012年にはユニセフ大使になるなど精力的に活躍しています。

おまけ

The Open Championship Media Day

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最後に、「カーヌスティの悲劇」のスピンオフとも言えるテレビ企画をご紹介いたします。

1999年12月。失敗を恐れない勇敢な男からの、イカレた招待状が届きました。

あなたは、受け取りますか?

物語は、パリにある彼の自宅のベッドルームで“あの日”自身の試合をビデオで見ているバンデベルデ選手から始まります。ビデオの中でも、バンデベルデ選手の最終日18番ホールの愚行を「彼はあのホールを全てパターでプレーすれば、7打以下でホールアウトできただろう」と揶揄するのです。

そこで彼は、イカレた衝動に駆られます。

「カーヌスティの18番を、パターだけでプレーしてやろうじゃないか!」

バンデベルデ選手は屈指の難コース、カーヌスティ・ゴルフリンクスの18番ホールをパターだけで、しかも7打以内でホールアウトすることができるのでしょうか?!

この挑戦は「12月のスコットランド(スコットランド イン ディセンバー)」という番組で、2日間に渡って行われます。彼の愚行をバカにしたようなオリジナルのサウンドトラックと一緒にお楽しみください。

(完)

 

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