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日本にいた伝説のゴルファー①日本ゴルフ界の草分け宮本留吉編

1931年11月、当時29歳の宮本は他の日本人らとアメリカ遠征に出かけます。翌年、ただ一人アメリカに残った宮本は単独で米ツアーに挑戦。車で広いアメリカ大陸を駆け回りました。

当時、「日本からゴルファーが来ている」と、アメリカでも評判だったようです。まして宮本は身長160センチ、体重60キロと小柄ながらけっこう飛ばすとの噂もたち、フロリダにいた宮本に、ボビー・ジョーンズとのエキシビション・マッチの話が舞い込んできました。

ジョーンズは生涯アマチュアとしてプレーし、1930年には全米、全英オープン、全米、全英アマの当時の4大メジャーを1年で制するグラントスラムを達成するや、引退しています。

宮本との対戦は引退後でしたが、当時ジョーンズはマスターズ大会創設とオーガスタGC設立に奔走しており、まだまだその腕前は衰えていません。奇しくも宮本とは同じ年の1902年生まれ。

宮本の回顧録によると、ジョーンズの印象は「ふっくらした面長の顔だち。だが、鷲のような鋭い目つきが印象的だった」

米ツアーの練習日に組まれたエキシビションには、数千人の観衆が集まりました。まだまだジョーンズの人気は高かったのです。

宮本とジョーンズに2人が加わってダブルス形式で始まりました。まず、ジョーンズがティーショットを260ヤードまで飛ばします。他の2人はその手前で止まりましたが、最後に打った宮本の球は、ジョーンズの真横に並びます。

宮本の技量に感じいったのか、ジョーンズは「賭けようか」と宮本に誘います。賭け金は5ドル。宮本は、グランドスラマーと“握った”のです。

アウトが終わって、ジョーンズの1アップ。15番で逆に宮本の1アップと一進一退でした。最終18番で、ジョーンズはバンカーへ。宮本は2アップで勝ちました。ギャラリーも興奮し、宮本は握手攻めに会います。「私の生涯におけるもっとも輝かしい日である」と宮本も回想しています。

ロッカーで「ヘーイ、トム」とジョーンズがニコニコしながら宮本を呼び止めると、5ドル紙幣を渡しました。宮本は紙幣にサインしてもらいます。5ドル紙幣は、後に額に入れて宮本家に飾られていましたが、1974年に日本ゴルフ協会のゴルフミュージアムが広野ゴルフクラブに設立された時に寄贈されました。

アメリカで宮本が交流を深めたプロも多く、ジーン・サラゼンとも文通していました。「トム・ミヤモト」は愛称「トミー」と呼ばれ、愛された存在でした。

サラゼンと宮本

宮本がゴルフを始めたのは小学生の頃、家の近くの神戸GCで週末にキャディーとして働いた時でした。見よう見まねでゴルフを覚え、23歳の時に茨木CCでプロになりました。

1926年、宮本24歳の時に日本初のプロトーナメント「日本プロ選手権」が開催されました。出場者はわずか6人、まさにプロゴルフの黎明期でした。大会は36ホールストロークプレーですが、なんと開催は1日だけ。2ラウンドで争われました。

試合は3人のシーソーゲームとなり、結局36ホール終了して同スコア。一人がスコア誤記で失格となると、2人によるプレーオフ、これまた36ホールが5日後に行われました。この時の相手、福井覚治は宮本の師匠にあたるばかりか、後に宮本が没頭するクラブ造りも習った仲でした。プレーオフ、宮本は好調で7打差で純銀のカップを手にしました。

宮本留吉ドライバー

日本オープン6勝は大会最多。日本プロ4勝、関西、関東プロ各4勝との成績を残している宮本ですが、「クラブ職人」としても大きな足跡を残しています。

そもそもは自分で使うためにクラブ造りを覚えました。プレーが終わった後ヘッドを外して削り、翌日打ってその具合を確かめるといったやり方で技術を磨きました。何百回と繰り返すうちに、どんなヘッドの形状が飛びやすいか分かってきました。

現在のミズノが1933年に日本初のクラブ造りを始めた時、スーパーバイザーとして呼ばれたのが宮本でした。戦後、50歳の宮本は銀座に室内練習場を備えたゴルフ用品販売店「フェアウェー」を開店し、自宅ではクラブ造りの工房を始めます。

当時、ゴルフがブームになりかけた頃で、日本オープン6勝の宮本が造る「トム・ミヤモト」ブランドのクラブは人気でした。ドライバーで1年待ちは当たり前。宮本も職人の誇りがあり、オーダーされてもすぐ造ることはせず、客のスイングを自らチェックして客の体格、技量に合ったクラブを造っていました。

宮本は、78歳になるまでクラブを造り続けました。日本プロゴルフ界の誕生に立ち会い、草創期にアメリカ遠征を行い、晩年までクラブ造り職人と、生涯をゴルフに捧げた人でした。

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