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世界も認める名門“川奈ホテルゴルフコース“

日本には「名門」と呼ばれるゴルフコースがいくつかありますよね。しかし、名門とは一体どのようなコースをいうのでしょう。

「名門」を辞書で引くと、「由緒正しい家柄」あるいは「有名な企業、学校」とあります。ゴルフ場の場合、ナショナルオープンである日本オープンや女子オープンの会場となる歴史あるコースを指すのでしょうか?

チャンピオンコースというよく分からない呼び名のコースもたくさん存在します。こちらもやはり公式トーナメントを開催する設備とホールを要するコースを言うらしいのですが、実際には集客のための謳い文句になっているだけのコースも少なくありません。

80年代後半から90年代初めのいわゆるバブル期には海外のトッププロやコースデザイナーによって設計されたコースがたくさん造られました。クラブハウスは豪華絢爛で高そうなシャンデリアや名画、コースには噴水に人口の滝、まるで結婚式場のようでした。

仕事柄、多くのコースで取材したりラウンドしました。いいコースも沢山ありました。しかしあれから20年、それらのコースは名門とは呼ばれていません。

やはり歴史が醸し出す雰囲気が足りないのはないでしょうか。そこで、今回はゴルファーなら誰もが認める「川奈ホテルゴルフコース」を紹介しましょう。

歴史を感じさせる重厚なゴルフコース、それが川奈ホテル

 

現在では「フジサンケイレディスクラシック」の会場として、ゴルフファンに知られている川奈ホテルゴルフコースですが、実際にラウンド経験のあるゴルファーは多くないでしょう。

トーナメントの会場となる富士コースをプレーするとなると、基本的には川奈ホテルに宿泊しなくてはならないですからね。

川奈ホテルゴルフコースの開場は1928年、まず大島コースがオープンしました。太平洋を望む大谷光明氏設計の本格的なシーサイドコースです。1936年には皆さんお馴染みの富士コースがイギリス人の造園家チャールズ・ヒュー・アリソン氏の設計によって完成しました。

深くアゴの高いバンカーを「アリソンバンカー」と呼ぶゴルファーが多いようですが、本来はアリソン氏が造ったバンカーだけををそう呼ぶのです。戦時中は東条英機に閉鎖されそうになるピンチもありましたが、近隣から牛を借りて、牧場と偽装して、難を逃れたというエピソードもあります。

川奈はアメリカのゴルフ専門誌による「世界のベストコース100」にも毎年ランクインしているゴルフコースですが、そんなゴルフ場でもこのように危ない時期があったのです。

ちなみに「ゴルフ・アラウンド・ザ・ワールド」という報告書によると、昨年末の時点で世界206ヶ国には34011コースがあり、アメリカに15722コースで世界の45パーセントを占めています。

2000コース以上ある国がカナダ、イングランド、日本だそうです。そんな膨大な数のゴルフコースの中で、毎年必ずベスト100に選ばれる“KAWANA“は日本が誇れる名門コースではないでしょうか。

モンロー、ディマジオ、そしてジョン・ウェインの名前も

洋館造りの川奈ホテルに一歩足を踏み入れると、背筋がピンと張り詰める。実は川奈ホテルは筆者が生まれて初めて労働による賃金を頂いた場所なのであります。中学生のときに何度かキャディのアルバイトをしていたことも。もちろん、芝目や海風を熟知している“お姉さん“キャディとペアを組んでですが…。

ゴルフ編集者になってからも、男子のフジサンケイクラシック、女子のフジサンケイレディスクラシックをほぼ毎年取材しているので、ホテル内、コースの隅々まで見てきました。

大理石の上に張られた絨毯のロビーを歩くたびに染み込んだ歴史を肌に、そして空気を感じることができます。

ホテル内にさりげなく飾られた品々にも驚かされる。長嶋茂雄氏の憧れでもあるニューヨークヤンキースの強打者ジョー・ディマジオとアメリカのセックスシンボルであるマリリン・モンローが新婚旅行で滞在したツーショットや昭和天皇ご夫妻、現、天皇陛下の皇太子時代、美智子様との写真などが目立たない廊下に並ばれている。

また57年には、西部劇の大スターのジョン・ウェインもハリウッド映画「黒船」の撮影のため5か月滞在したという。もちろん日本史の教科書にも出てくるハリス役だったそうだ。

そんなセピア感がまばゆい。これこそが川奈ホテルの重みであり、これぞ名門コースと呼ばれる所以ではないだろうか。

ドラマチックなプレーを引き出す難コース

川奈ホテルゴルフコース 富士コースは、現在の女子トーナメントの会場のなかでも最も歴史のあるゴルフコースである。81年から男子トーナメントのフジサンケイクラシックが行われ、2005年からは女子に引き継がれた。

過去幾たびの名勝負、ドラマも生まれた。男子ではジャンボ尾崎が5度川奈を制しているが、特に87年は圧巻であった。16、17番で連続チップインの離れ業で優勝、さらに90年には8打差を引っくり返しての大逆転優勝とミラクルを起こしたことが、強烈に焼き付いている。

女子でもドラマは受け継がれている。コースの高低差が95メートルもあり、海風の道を複雑にしている。さらに砲台グリーンにラインが読みにくい高麗グリーン。

「風やグリーンに悩まされ、パニックになる」というトッププロの声を何人からも聞いた。

今年も安定感抜群のアン・ソンジュが最終ホールでまさかのダブルボギーで大山志保に優勝をさらわれた。思えば、昨年のグリーン奥から藤田光里がチップインで劇的な初優勝を決めたのも記憶に新しい。

名プロデューサー戸張捷氏の演出

左サイドに太平洋の16番パー5、砲台グリーンでショートすれば崖下に転げ落ちる17番パー3、海を背にティショットを放ち、難しいアリソンバンカーが待ち受ける18番パー4は川奈のアーメンコーナーと呼ばれ、数々のドラマを生んできたが、実は本来はこの3ホールは上がり3ホールではない。

ギャラリースタンドの設置場所もあるが、最後はテレビ映りが良く、ドラマチックな結末になったのはトーナメントプロデューサーである戸張捷氏の手腕によるものだ。実は本来の18番ホールを1番ホールに、1番ホールを2番ホールに3番ホールを…というように、順番に1ホールずつずらして開催されているのだ。

戸張氏曰く「アリソン氏の設計理念とは違うかもしれないが、結果的にドラマチックになったでしょう」と、毎年の劇的な展開に胸を張る。

戸張氏は現在もコース改修を積極的に行っている。15番グリーン奥の木を伐採し、オーバーしたら崖を転げ落ちるようにしたり、女子の飛ばし屋なら2オン可能な16番のグリーン手前にガードバンカーを増設したりして、トーナメントを面白くしていることも知ってもらいたい。

いかがでしょうか。川奈ゴルフコースが名門と呼ばれる所以は、伝統と格式を備え、さらにメンテナンスやコースの面白さなど、様々な要素を高いレベルでクリアしていると言えます。

明確な定義は定められていませんが、名門コースと呼ばれるゴルフ場が数多く存在します。個人的基準で名門コースを探すのも良いかもしれませんね。

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