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韓国人プレーヤーの強さの理由。それは半端じゃないハングリー精神

1位   パク・ソンヒョン
2位   チェ・ヘジン(アマチュア)
3位タイ ハー・ミジョン、ユ・ソヨン
5位タイ イ・ジョンウン他

これは韓国女子オープンの結果ではありません。まだ記憶に新しいから、ほとんどのゴルフファンならば、今年の全米女子オープンの順位であることは知っていますよね。

世界ランクを見ても、1位がユ・ソヨン、2位パク・ソンヒョン、4位キム・インキョン、6位ハー・ミジョン、7位キム・セヨン、9位エイミー・ヤン(8月7日の時点)というから驚きです。日本ツアーでも現在賞金ランキングのトップはご存知キム・ハヌルです。他にもイ・ミニョン、全美貞、アン・ソンジュらがトップ10に名を連ねています。

世界を席巻するコリアン・プレーヤーの強さの理由は一体なんなんでしょうか?一般的にはジュニア時代からの徹底したゴルフ教育と言われています。しかし、果たして裕福な子供たちだけが世界で成功しているかというと、そうではありません。

日本で活躍する申ジエ、キム・ハヌル、イ・ボミのジュニア時代はどうだったんでしょう?今回は彼女たちの過去のエピソードを紹介しましょう。

1988年生まれの同い年、彼女たちのヒロインは朴セリ

申ジエ、キム・ハヌル、イ・ボミ、彼女たちに共通するのは1988年生まれ、裕福な家庭環境ではありませんでしたが、3人は韓国ツアーで賞金女王になっています。

彼女たちが9歳になった1997年、韓国は通貨危機による経済難を経験し、国家は破綻寸前で、韓国民の生活は困窮していました。通称IMF経済危機と呼ばれるこの大不況の中、ゴルフ界にスーパー・ヒロインが誕生したのです。

1998年、アメリカLPGAツアー1年目の朴セリが全米女子オープンで20歳9か月という当時の最年少記録で優勝を果たします。同年、今度は全米女子プロゴルフ選手権でも優勝。なんとメジャー2勝という驚くべき快挙は、韓国では大きなニュースとなりました。その偉業は、もちろんテレビで生中継され、不況にあえぐ韓国民を勇気づけたといいます。

ちょうどその頃、申ジエ、キム・ハヌル、イ・ボミの両親は朴セリに大きな刺激を受け、娘を朴セリのようにしたいと思ったそうです。そんなことがあって、彼女たちは「朴セリキッズ」と呼ばれています。

母の死を乗り越え、歯を食いしばってプロになった申ジエ

申ジエの父親はスポーツ万能で、ボウリングの国体選手にもなったそうですが、結局はプロになれず、獣医になり、その後牧師さんになったという異色な経歴を持った人物です。そんなこともあり、娘をプロスポーツ選手にさせたくて、ゴルフを始めさせたそうです。

申ジエもそれに応えるように真剣にゴルフに打ち込んでいる中学3年生のとき、不幸が突然訪れました。父親と練習中に、練習場に送り迎えをしていた母親が、大型トラックと正面衝突し、帰らぬ人となってしまったのです。

申ジエの家はもともとそれほど裕福ではなく、これ以上ゴルフを続けられる状況ではなくなりました。そんなとき、母親が亡くなったことで、保険金を受け取ることになり、いくつかの借金を返済し、手元には1700万ウォン(約170万円)が残りました。そのとき、父親はこう言ったそうです。

「お母さんが命と引き換えに残したお金だ。これでゴルフを一生懸命頑張ろう」

その一言で、ゴルフに対する考えが変わりました。それまでは「ゴルフでミスをしても、それはいい経験だ。次に頑張ればいい」という考えを「その1回のミスが一生後悔することになる」と思うようになったそうです。

その決意がよく表れているエピソードがあります。中学、高校生のとき、5年間20階建てのアパートの階段を毎日7往復ランニングを欠かさずしたといいます。そして1日13時間のゴルフの練習もこなしました。すべては父親に喜んでもらうためでした。

その結果、韓国ツアーで3年連続で賞金女王となり、2010年には世界ランク1位にまで登り詰めたのです。日本ツアーでは、日頃ニコニコしている印象が強い申ジエですが、その裏では深い悲しみを乗り越えた強さがあるのです。

ボール1個で2日間戦い、優勝したキム・ハヌル

今シーズン、現在日本ツアーで賞金ランキングトップに立っているのはキム・ハヌルです。韓国では「スマイル・クイーン」の愛称で抜群の人気を誇っています。2011年、2012年の韓国ツアーの賞金女王です。

ゴルフの実力だけでなく、その美貌も人気の大きな要因となっています。一見、育ちも良く、お嬢様ゴルファーのイメージが強いキム・ハヌルですが、実は全く正反対で、彼女も実は苦労人だったそうです。

父親は造形、美術の仕事をしていましたが、やはり裕福ではなく、いつもお金に困窮していたといいます。しかし、やはり朴セリに感化された父親は、12歳のハヌルにゴルフを始めさせました。

当時の韓国は、ゴルフ用具はもちろん、練習代、ラウンド代はかなり高額で、とてもゴルフを続けられる環境ではなかったと、彼女は語っています。それでも「ゴルフを続けさせてほしい。絶対に成功する自信があるから…」と、父親を説得しました。父も「娘のためなら」と、必死に働いたといいます。

アマチュア時代、あるトーナメントに出場した中学生のハヌルはボールを1個しか持っていませんでした。それを見かねた父は、ハヌルに財布を渡し、「ショップに行って、これでボールを買ってきなさい」と言いました。

ボールは1スリーブ(3個)約3000円もしたそうです。当時の韓国ではゴルフは富裕層のスポーツということがよく分かる価格です。ハヌルが財布を開けると、そこには3000円しか入っていませんでした。彼女はボールを買わずに、財布を父親に返しました。結局ボール1個で2日間を戦い、見事に優勝を果たします。みじめな思いや悔しさをバネにして、悲壮な覚悟で挑んだのです。

こうした過去を今では笑って語るハヌルですが、思春期の彼女がどんな気持ちでいたのかを想像すると、相当な精神力の持ち主だったことでしょう。

一家を支えるプレッシャーをモチベーションに変えたイ・ボミ

今シーズンは今一つ調子が出ていない日本ツアーで2年連続賞金女王のイ・ボミですが、彼女もやはり苦労をしてきました。

愛くるしいルックスとファッションでギャラリーの人気もナンバー1のボミの転機は2014年9月に最愛の父親を病気で亡くしたことでしょう。当時の彼女の喪失感はかなりのもので、体重も減り、痩せ細った姿が痛々しいほどでした。

イ・ボミも12歳の時に、やはり父親の勧めでゴルフを始めました。やはり朴セリの大ファンだったそうです。仕事は電気技師でしたが、それほど経済的に余裕はなく、母親が飲食店を切り盛りして、家計を支えていたそうです。

父親がボミに対するゴルフのサポートは相当なもので、自宅から練習場まで1時間半、毎日送り迎えをしていたといいます。「今私があるのは父親のおかげです」と、ボミは感謝の気持ちを持ち続けています。その父への愛情、感謝の気持ちが2年連続賞金女王になったモチベーションだったことは間違いありません。

そして、父親が亡くなった後は、ボミが一家の長になりました。母はボミに帯同、姉は結婚しましたが、妹2人は韓国で働いています。ボミが一家を支えていくという責任感が彼女の強さになりました。

ボミは敬虔なクリスチャンです。ティグラウンドで十字を切っている姿を見たことがあるファンも多いかと思います。ただクリスチャンといえども、儒教の教えが根強い韓国ですので、両親を敬い、家族を大事にするという儒教の精神がボミにも強く宿っています。一家を支えるためにゴルフするイ・ボミの強さは、家族のためというのが一番の要因なのです。

申ジエ、キム・ハヌル、イ・ボミ、3人に共通するのは父親の情熱です。韓国にはこんな言葉があります。

「1年で破産しそうになったら、カジノへ行け。10年で破産しそうなら、子供にゴルフをさせろ」

子供に一獲千金の夢を託すみたいで、聞こえはあまりよくありませんが、それくらい悲壮感を持ってゴルフをプレーする彼女たちの活躍は、日本でもアメリカでもけっして偶然ではないでしょう。

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