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世界と日本におけるゴルフの起源や歴史を探ってみよう!~次回コンペでウンチク王~

今回は初心者の方に向けて、ゴルフのはじまりについてお話ししたいと思います。

以前ゴルフェスブログライターのアンゴラさんが書かれた、ゴルフの発祥やホール数のディープなネタなどは既にご覧になった方も多いかと思いますが。その際、ゴルフの起源にも少し触れていましたね。
ゴルフの起源については諸説あり、いつどのように始まったかは未だ不明なのです。

公文書の記録としては1457年、ジェームズ2世統治下のスコットランドで、フットボールとゴルフを禁止する法案が議会を通ったとするものが、ゴルフに関する最古の文献なのだそうです。
とすると、ゴルフの始まりは当然それ以前になるわけですが、起源を明白にする文献が残っていないために諸説が浮上するわけです。

起源のいろは

棒のような道具を持ち、転がるモノを打って目標物に当てる、もしくは入れるというのは、単なるその場の遊びとして成り立ちやすいものと推察されます。
そのゴルフと共通点のある動作で偶発的に遊ぶ人たちが、いくつかの地域に分散していたとしても、そうおかしな話ではないのかもしれません。

今や世界中の老若男女が夢中になり、多くのゴルフファンが楽しむ人気スポーツですから、発祥の地と主張したい国がたくさん存在するのも頷けます。
現在、“ゴルフの起源は自国”と主張するのは、オランダ、イギリス、フランス、イタリア、中国など、さまざまな国でもっともらしい説が唱えられています。

その中で、現在のゴルフゲームに近い形態としての起源有力説は、オランダのspel metten kolve (または kolven)というゲームが変化して、スコットランドに渡った説のようです。
13世紀頃からオランダで行われていたこのゲームは、先の曲がったゴルフクラブのようなスティックで、羽毛を中に詰めた革製のボールを打ち標柱に当てる競技とのこと。
パークゴルフに近いようですが、当時は1000ヤードもあるコースを4ホールプレーするもので、ルールや用語の多くがゴルフと共通していたそうです。

そして、ゴルファーの聖地、セントアンドリュースの町に教会ができて交易の拠点として繁栄をはじめた12~13世紀当時、オランダとの往来が盛んにおこなわれ、その際に渡来したといわれます。
のちにゴルフ禁止令が出されるほどに国民が熱中したようですから、ゴルフはスコットランドで発展を遂げ、現在のカタチに近づいて行ったことに間違いないようです。

ちなみに、ゴルフで使う「フェアウェイ」は、航海用語で「安全な航海路」が語源と言われることからも、交易の原動力である船との結びつきが感じられますね。

競技方法の変遷

スコットランドでゴルフ競技が確立したころは、マッチプレーが主流でした。
マッチプレーとは、ふたりのプレーヤーがホールごとに勝敗を競い、通常は18ホールをプレーして、最終的に勝ったホール数が多いプレーヤーが勝利する方式です。対戦相手の組み合わせによっては、早いうちに負けが決まってしまうという不運もあり得ます。

ゴルフ人気が高まり競技人口が増加してくると、試合で優勝者を決めるまで、トーナメント方式でこのマッチプレーを何度も繰り返さなくてはならず、効率が悪くなってきました。
また前述したように、対戦相手の組み合わせの運・不運が不公平との声も高まり、1759年ついにストロークプレーが採用され、現在のゴルフ競技の主流になりました。

ストロークプレーとは、打ったストローク(打数)のトータルを競う方法です。
そうなると、これまではコースごとに異なったホール数や規定打数にも、統一の規格が必要になります。全てのホールの規定打数を決めて、コースごとの合計規定打数による比較をしやすくしたことが、パーの起源となるのです。
そして、1764年にはゴルフ競技の総本山、セントアンドリュースゴルフクラブで、1ラウンドが18ホールになるなど、現在のゴルフ競技の原型がほぼ完成しました。

ストロークプレーになったことで、プレーヤーは総ストローク数を集計する必要が出てきました。当時はスコアカードもなく、紙も鉛筆も貴重な時代だったため、なんと手近なシャツの袖(カフス)にスコアを書いていたのだそうです。
のちの1865年、第6回全英オープンにおいて正規のスコアカードが採用されますが、この横幅が6インチ(15センチ)。これは6インチプレースのローカルルール(打ちにくい場所にボールが留まってしまった場合、無罰で6インチ動かせる初心者お助けルール)が適用される際、ものさしとして利用できる便利サイズなのです。

日本でのゴルフのはじまり

1901年秋、日本で初めてのゴルフコースが、神戸市の六甲山上に誕生したのは有名な話です。
日本を愛し神戸に居住したイギリス人貿易商、アーサー・ヘルケス・グルームが想起し、仲間と一緒に岩を掘り起こしたり雑草や草木の根を刈り取り、3年をかけて手作りの4ホールが作られました。

当時、六甲山には外国人の山荘が立ち並び、仲間うちでのレジャーと社交が目的の個人的なものだったそうです。
うわさが広まって来場する人が増え、他にも5つのホールを増設したところで、1903年5月24日に日本初のゴルフクラブとして、神戸ゴルフ倶楽部が開場されました。そしてこの日開催された「Challenge Cup」が、日本初のゴルフ競技ということになります。
1904年にはさらに9ホール拡張され、18ホールのコースが完成しました。

当初のクラブメンバーは135名といわれ、そのほとんどがイギリス人でした。その他には数名のドイツ人、フランス人、アメリカ人と、わずか7名の名誉会員的な日本人で構成されていたようです。

1929年にほぼ現在のコースレイアウトとなり、一般的なコースとは少し異なるパー61。各ホールはパー3とパー4のみで、パー5のホールはないそうです。
そしてゴルフクラブは通常、キャディーバッグの中に14本まで入れられますが、こちらでは10本までと決められています。これは、山岳コースのためにカートが使えず、キャディーの負担を軽減するためだそうです。
ちなみにキャディーのアルバイトは近隣の男子学生が多いようで、場所柄名門大学も多く、神戸のインテリキャディーとの異名もあるそうです。

プレーするには、メンバー同伴か紹介が必要だったり、ドレスコードも厳しく、歴史を感じる筋金入りの名門コースといえますね。
また現在の瀟洒で風格のあるクラブハウスは、1932年に著名な建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの手により建て替えられ、近代化産業遺産として登録されているのだそうです。

機会があれば、生涯に一度はラウンドして非日常を味わってみたい、そんなコースといえるのではないでしょうか。

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