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【アーノルドパーマーの歴史】傘のマークに込められた想い~NO RAIN, NO RAINBOW~

  • 2016.10.18

ゴルフ界の巨星アーノルド・パーマーが亡くなった。戦後、テレビ時代に突入し、そのアグレッシブなプレースタイルで絶大な人気を博し、ゴルフの大衆化に最も寄与した最大の功労者であるプレーヤーといっても、異論はないだろう。

パーマーの偉大な記録や人柄は、既に多くの新聞や雑誌で語られたのであろうから、我々にとって、最も身近なアーノルド・パーマーについて書いてみたいと思う。そう、あのカラフルな赤、黄、白、緑でお馴染みの傘マークのロゴの「アーノルド・パーマー」だ。

1970年代の初頭、日本中にワンポイント・マークが左胸に付いたウェアが大ブームになった。ペンギンマークのマンシング、鷲のマークのファーストフライト、パイプのマークのトロイブロスなどなど…。お気に入りのブランドをみんなが主張する時代の始まりだったような気がする。

そして、傘マークのアーノルド・パーマー、ゴールデンベアのジャック・二クラウスなどのアメリカのプロゴルファーの名前のブランドも日本中を席巻した。他にも、ブラックナイト(黒い騎士)のゲーリー・プレーヤー、メキシカンハットのマークのリー・トレビノなどが大流行した時代だ。

Arnold Palmer

Licensed by gettyimages R

当時、アメリカからのゴルフ事情などの情報はほとんど入ってこない時代だ。せいぜいテレビで放映されていたのは、週1回の「ビッグイベント・ゴルフ」と「ビッグ3ゴルフ」ぐらいだったかと記憶している。

ビッグイベント・ゴルフはPGAツアーのハイライトシーンを30分にまとめた番組で、ビッグ3はパーマー、ニクラウス、プレーヤーの3人がアメリカ国内だけでなく、世界中でエキシビジョンマッチをプレーするという番組だった。もちろん、日本でも3人のプレーは行われたので、アメリカのビッグネームのプロゴルファーたちの顔は知れ渡っていた。

アーノルド・パーマーの傘マークが大流行

PGA TOUR - 2007 Arnold Palmer Invitational - Second Round

Licensed by gettyimages R

1970年代当時の日本は、戦後最大の空前のゴルフブームを迎えていたのだ。まさに日本中でゴルフコースの建設ラッシュ状態だった。そんな時代背景をベースに、日本最大のアパレルメーカーだったレナウンの商品開発室の一人のマーチャンダイザー(仕入れから販売まで一貫して担当する者)によって開発されたのが「アーノルド・パーマー」なのである。

「アーノルド・パーマー」は、1961年にアメリカで発祥し、1969年に日本の会社、株式会社レナウンによって展開されたブランドだ。また今の若い女性はアーノルド・パーマーをデザイナーの名前だと思っている人がいるというが、プロゴルファーの名前をブランド名にして、パーマー本人をCMに起用することで、イメージをブランドに重ねたのである。

ちなみに当時のCMにはあの美人ゴルファーのローラ・ボーも出演していたのを覚えている方も多いのではなかろうか。ゴルフ傘をモチーフにした独自のブランドマークを考案することで、図形商標も取得して、ライセンスビジネスも展開したのである。

あのカラフルな傘マークはパーマー自身のアイデアで「NO RAIN,NO RAINBOW(雨が降らなきゃ、虹は出ないさ)」というのが由来だという。

日本初のトータルファミリーブランドに大成長

「アーノルド・パーマー」は、日本国内初のトータルファミリーブランドでもある。老若男女を対象に商品展開をしたブランドは、なんとアーノルド・パーマーが初めてだったのである。

今では、ラルフ・ローレンやGAPなど珍しくないが、それまでの日本には皆無だった。紳士服、婦人服、子供服でブランドは異なっているのが当たり前の時代だったが、一人のマーチャンダイザーによって開発されたブランドだったからこそ、日本初のトータルファミリーブランドも可能になったといえるだろう。

当時のレナウンはアパレルメーカーの最大手であり、社員デザイナーや社員パタンナーも多く、人材が豊富だったため、紳士服のゴルフウェアだけでなく、婦人服、子供服と担当別による複数のデザイナーがデザインしたことも大ヒットの要因だった。そして、共通となる傘マークを付けたことで、ブランドとしての統一感を生み出すことに成功。そして、日本初のトータルファミリーブランドが誕生したのである。

いつしか大衆ブランドとなり、傘マークは姿を消した

時代を反映した日本独自のブランド、アーノルド・パーマーは、あっという間に日本人の心をとらえて、大ヒット。戦後最大のブランドとして、大成功を収めた。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、傘のマークはありとあらゆるアイテムとなって、日本中に溢れた。

ライセンス展開も拡大する一方で、あまりにも氾濫し過ぎたアーノルド・パーマーは、やがてブランドとして飽和状態を迎えることになる。一世を風靡したブランドであればあるほど、いつしか大衆ブランドと化し、いつしか過去のものになっていった。

アーノルド・パーマー・タイムレスとして復活

2010年代前半になって、アーノルド・パーマーが復活。ファストファッションの進出などで、企業としては傾きかけていたレナウンからは優秀な人材が続々と流出した。倉庫整理していたときに、ブランドが開発された当時の原画等が多く見つかり、そこで商品を忠実に復刻したところ、現代の若者、特に女性の心にカラフルな傘マークがヒット。

氾濫し過ぎたことや安易なライセンス路線といったところが、せっかく頂点に上り詰めたブランドを凋落させてしまった前回の教訓から、開発当時のクオリティを崩すことなく、ブランドを守る路線に変更。ブランド名も「アーノルド・パーマー・タイムレス」とし、ロゴマーク従来の4色の傘に加えて、モノクロの傘のロゴマークも登場した。

販路もデパートではなく、高感度なセレクトショップを中心に展開することで、ブランドとして見事に新生したのである。私たちオジサン世代にとっても、傘マークの復活は大歓迎である。そして、我らのヒーロー、アーニーは永遠だ!

そういえば、パーマーのお葬式の模様をネットで観ましたが、神父さんの胸にはあの傘マークのピンバッジが付いていたのを、見逃しませんでしたよ。

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この記事を書いたライター

元某ゴルフ雑誌編集長。ゴルフ取材歴30年。現在、フリーランスのゴルフライターとして、単行本、ゴルフコミックの原作など数多く執筆中。

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