だから面白い!歴史に残る個性派ゴルファー達⑥駐車場からナイスオン!?修羅場でますます冴える天才、セベ・バレステロス編
180センチ、78キロとアスリートとしても立派な体格に、スペインの闘牛士を思わせる精悍なセベ・バレステロス。「セベ」と呼ばれて愛されました。何よりその才能は一目置かれる存在でした。
その印象的なのは、トラブルの中でこそ光り輝く才能を発揮したことでした。1979年の全英オープンの最終日、優勝を争いながら16番ホールでティーショットを大きく右に曲げてしまい、臨時駐車場の車の下に打ち込んでしまいます。
救済ルールで車は移動されましたが、そんな状況ではどんなトッププロでも99%は優勝をあきらめるでしょう。ところが、セベは違いました。グリーンが見えず、芝もない土の上にあるボールに対し、落胆する様子もなくアイアンを振り切ります。
これが、まさかのピン横4mにナイスオンさせてしまうのです。大観衆が驚嘆のどよめきの中、当然、とのしたり顔でグリーンに現れます。まるで凶暴な牛を仕留めた闘牛士。さらに、これを1パットで沈めるバーディー。セベ、22歳にして初めてのメジャータイトルを奪ってしまいました。
1980年のマスターズでもセベのミラクルが光ります。最終日に優勝争いを演じますが、そもそも23歳でグリーンジャケットを争う位置にいたらプレッシャーにつぶされます。しかし、セベはスタートする直前までハンバーガーに食らいついていた強心臓ぶりを見せていました。
土壇場の17番でまたやってしまいます。ティーショットを大きく左に曲げて隣の7番ホールへ。グリーンまでは高い林にさえぎられています。この時もセベは動じる様子を見せませんでした。
間には高い林。もちろんグリーンは見えません。今回もほとんどのプロはあきらめる場面で、セベは真剣な面持ちでショットします。ボールが木立の向こうに消える直後に大歓声が響いてきました。
セベはグリーンに乗ったことを確信します。なんと、ボールはピン側2メートルにナイスオン。これもバーディーを奪い、初のマスターズ・チャンピオンに輝きました。
この様子を、先にホールアウトしたジャック・二クラウスがテレビで見ていました。「なんてこった。こんなバカげたゴルフは見たことない」。笑うしかなかったジャックでした。
スペイン・カンタブリア州の酪農家の4男坊として生まれたセベ。キャディのアルバイトをしていた兄から、7歳の時に3番アイアンのヘッドだけをもらいます。これに適当な木の枝を付け、手製のクラブとして小石を打って遊んでいました。
8歳で本物の3番アイアンを手にすると、終始手元において1個のボールが擦り切れるまで打ち続けました。12歳でハンディ0となると、16歳でプロ入り。18歳で欧州ツアーで初優勝を飾ると、マスターズ初挑戦前にはアメリカゴルフダイジェスト誌が「史上初めて10代の優勝者誕生の可能性」との特集を組むほどでした。
日本ともなじみが深く、1977年の日本オープンで優勝。当時20歳7カ月のタイトルは最年少記録でした(2007年、石川遼が更新)。他に、三井住友VISA太平洋マスターズ、ダンロップフェニックスで計5勝しています。ビール会社のCMにも登場しました。2011年の東日本大震災の折には、震災の5日後、自身のHPに「日本、私はあなたとある」のエールを書き込んでいました。
トラブルショットでのエピソードばかりでなく、セベは大舞台で印象的なプレーを見せています。ここぞ、というホールでのドライバーショットが普段より20ヤード以上も距離が伸びたり、アプローチがピン側べったりについたり。ショートゲーム、パットも憎らしいほどの冴えを見せました。
セベの印象を多くのプロがコメントしています。
「二クラウスにはパット、俺には飛距離。ゴルフの神様は誰しもに必ず一つ欠点を与える。ただしセベ以外には」(リー・トレビノ)
「セベはほとんど完璧なゴルファー。トラブルに見えても彼にとってはそれは難問じゃないんだ」(ベン・クレンショー)
「多様にボールを操る技術はタイガーよりずっと上だろう」(倉本昌弘)
1990年代にはいってスランプに陥ってしまいます。特にメタルウッド、チタンウッドが登場してから、スイング改造がうまくいかず調子を崩しました。腰痛、膝痛と身体も変調をきたしてしてしまい、2007年にはツアー挑戦を断念しました。
2008年、スペイン・マドリード空港でセベは突然倒れます。精密検査の結果は脳腫瘍。数回の手術でいったんは回復しましたが、2011年、闘病生活の末、息を引き取ります。
54歳の早すぎる死。その死を悼んだジャック・二クラウスは「情熱を持ち、偉大なエンターテイナーだった」との言葉を送りました。一緒に戦ったプロゴルファー、ファンは、もうセベの独創的なゴルフが見られないことを惜しみました。
その光り輝くプレーで、セベ・バレステロスの名前は永遠に語り継がれるでしょう。