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2016年全米オープンが行われるオークモントは世界一難しいコースなの?/誰かに話したくなるおもしろゴルフ話

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オークモントで最初に全米オープンが開催されたのは、1927年です。

全米アマと全米オープンにそれぞれ2勝、全英オープンにも勝ったボビー・ジョーンズに注目が集まりました。2年前の全米アマを勝った場所は、このオークモントだったので尚更でした。

しかし、勝ったのはプロゴルファーのトミー・アーマーでした。優勝スコアは13オーバーで、他の全米オープンに比べて著しく悪いものでした。

トミー・アーマーは言いました。

「学校で例えれば、最高学府で、最高学位をとる学部。普通のゴルフコースではなく、ここはゴルフコースの研究所なのだ」

世界一難しいコースを作る親子の夢

Oakmont Country Club Scenics

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オークモントでの2回目の全米オープンは1935年で、勝ったのは無名の地元のプロゴルファーだったサム・パークスでした。下馬評では、以前にオークモントで開かれた全米プロに勝っていて、当時、最も強かったプロゴルファーの一人だったジーン・サラゼンが最有力候補でした。

終了後、勝てなかったサラゼンは理由を問われて答えました。

「勝ったのはコースだったということさ」

その後も、オークモントでは全米オープンが開催されました。今年の開催で9回目になります。これは最も多い開催数になっています。ちなみに、全米オープンでイメージしやすいペブルビーチGLは、全米オープン開催数は5回なのです。

オークモントの歴史を溯って、その理由を調べてみましょう。

オークモントが誕生したのは1904年です。その前年に、ヘンリー・フォーンズがピッツバーグ郊外のアリゲニー河を見下ろす小高い丘を買い取り、ゴルフコースを造り始めました。

150人の労働者と24頭の作業馬で作られたチームは、当時は破格のスケールで豊富な資金を投入していると大いに話題になりました。スコットランドのリンクスのように、高い木がない開放感があるコースというテーマに合わせて日々コースは作られて、丸1年かかって完成したのです。

ヘンリー・フォーンズは、元々は弟と鉄鋼会社を経営していました。ピッツバーグは19世紀後半から鉄鋼の町だったのです。1896年に独占して巨大化していくカーネギーの「USスチール」に兄弟は自分たちの会社を売却しました。

この取引で、二人は大金持ちになりました。地元の複数の鉄鋼会社や銀行の役員をしながら、カーネギーから教わったゴルフに兄弟でのめり込んでいきます。フォーンズは、ゴルフを始めて約5年で全米オープンの予選を突破しました。このとき、一緒に23歳だった息子のウイリアム・フォーンズも予選を通ったのです。

ゴルフ界での親子の挑戦は続きました。フェーンズは中年になっていたのに、その後、4回も全米アマに出場しました。息子のほうは1910年には全米アマで優勝し、1922年にはウォーカーカップのキャプテンに選出され、1925年には全米ゴルフ協会の会長になったのです。そんな親子が作るゴルフコースです。注目は集まります。

ヘンリーが設計をしたコースのもう1つのテーマは、「アメリカで一番難しいゴルフコースとする」ということだったのです。バンカーの数は200を越え、大きなグリーンと色々な種類のホールがある構成は、オープンと同時に大評判になります。

父親のヘンリーはその評価に満足していたと言われていますが、息子のウイリアム・フォーンズは満足しませんでした。全米アマに優勝した1910年以降、30年間、常にコースを改造し続けたのです。

基本的なルートプランはそのままにして、いかに難しいコースにするのか?

ウイリアムの答えは、ミスショットは取り返せないミスになるように徹底することでした。オークモントはペナル型といわれる古くからリンクスで採用されてきた概念で、コースの難易度を上げていきます。

オークモントが作られた場所は、ペンシルバニア西部の特徴で粘土質の土壌でした。粘土質の土壌は雨が地面に浸透しづらいので、水捌けが問題になります。

オークモントは、フェアウェイサイドのラフに排水用の溝を何ヶ所も掘りました。そのような溝を多くのコースは修理地として扱いますが、オークモントはウォーターハザードとしています。

グリーンの傾斜も大きくしました。これも水捌けを考慮した工夫だったという一面もあったようですけど、コース管理の尽力で芝生の刈高を低くすることに挑戦したことで、難易度を上げる結果となりました。グリーンに重いローラーをかけて、転がりを良くすることもオークモントが先駆けだったようです。

バンカーは増減を繰り返し、220個になりました。この改造で、「チャーチ・ピューズ(教会の腰掛け。Cfurch Pews)」と呼ばれる広大な砂地に8つの長イスを並べたようなラフのマウンドがある有名なバンカーが生まれました。

粘土質で硬い地盤なために、リンクスのような深いバンカーを作ることができなかったので、バンカーの形状を様々に考えて工夫しました。それでも難易度を上げることに限界があったので、バンカーレーキに三角の波状の大きな突起を付けて、深い溝を付けるようにしました。

ボールが完全に埋まってしまうほど大きな溝を付けていた時代もありました。まさに、ミスショットにはペナルティーを! という最難関コースになったのです。

最初に紹介した、トッププロ2人が語ったセリフを思いだしてください。

ここはコースの研究所であり、“プレーヤーに勝ってしまうコース”として君臨したのです。フォーンズ親子の夢は実現しました。

全米オープンが9回も開催される理由

2016 U.S. Open - Course Previews

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オークモントCCが、最も多くの全米オープンを開催した理由はわかったでしょうか?「アメリカで一番難しいコースとして君臨したから」だと、ここまで読んで答える人が多いでしょう。

細かいところに目が行く人は、コース改造に夢中になっていた張本人が、全米オープンを主催する全米ゴルフ協会の会長になっていたのだから手前味噌なんじゃないか、ということに気が付いたかもしれません。それも影響はしていたと思います。

しかし、それだけではないのです。ただ難しいだけで、協会の関係者のコネがきくコースだからだったとしたら、すぐに敬遠されてしまうはずです。

その先の話を紹介しましょう。

ヘンリー・フォーンズは1935年に、息子のウイリアム・フォーンズは1950年に他界しました。親子の夢は叶えられましたが、残された人たちはコースをアメリカが誇る名コースとして維持しようと努力を始めます。

1950年と言えば、昭和25年です。5年前に戦争が終わって、世界は新しい時代に突入していく最中でした。オークモントは18人のコース委員会を作って、未来に向けてのコース改造を始めます。

最初にやったのは、バンカーの数を減らすことでした。そして、グリーンの過剰な傾斜を緩やかなものに変更し、ボールの転がりも少し遅くするようにしました。大きな溝をつけるバンカーレーキも段階的に廃止し、1960年には全面廃止となりました。

計画的な植樹も行われて、リンクス風というコースからインランド風のコースになっていきます。あまりにも難しすぎる部分は修正していくことが、オークモントを後世に残るコースにするために必要だと判断したわけです。

修正しても、オークモントの難しさが全て消えたわけではありません。相変わらず、“アメリカで最も難しいゴルフコース”として名前が挙がるのです。

オークモントは、伝統を作っていくゴルフコースの一つの見本になっています。伝統は維持するものでありますが、同時にそれを維持する為の改革を恐れずに続けていくことが必要になるのです。トライ&エラーで、より良いものに作り上げていくという姿勢が評価されています。

大きな溝を付けるバンカーレーキは1960年に全面禁止になりましたが、20世紀末に形状を多少穏やかにして復活し、その後、試行錯誤を続けています。計画的な植樹によって大きく繁った巨木は、前回と今回の全米オープンの開催に合わせて思い切って多くを伐採しました。伝統は、必要な改革によって維持されることを証明しているようです。

フォーンズ親子が残したオークモントへの熱い想いは、所々に残されています。

ラフにある幅が狭い排水用の溝は、今でもウォーターハザードです。フェアウェイに近いので、少し曲がった選手は入るけど、大きく曲げた選手は入らないという実態は、フェアじゃないという批判もあります。フェアウェイを外せば、それはミスであり、それ以下でも以上でもないというフォーンズ親子の理念が生きているのです。

オークモントで行われる全米オープンは、ドラマを生み続けています。

1953年、交通事故から奇蹟の復活を遂げたベン・ホーガンの完全優勝が話題になりました。

1962年、自らグランドスラムという概念を世界中のゴルファーに広めたアーノルド・パーマーの悲願の全米オープン優勝は、プレーオフで、ジャック・ニクラウスに阻まれました。

1973年、前日の豪雨で軟らかくなったグリーンを攻め続けて奇蹟の“63”というスコアで逆転優勝したジョニー・ミラーは、ミラクルと言われました。

1983年、神業といえるロングパットを沈めたラリー・ネルソンは、飛ぶ鳥を落とす勢いだったトム・ワトソンを破りました。

1994年、3人のプレーオフで、アーニー・エルスが優勝します。

2007年、アルゼンチン人では初めてアンヘル・カブレラが、タイガーウッズを1打差で下して、優勝しました。

2011年から全米ゴルフ協会は、全米オープンの開催コースに求める基準を大幅に変更しました。優勝スコアがパープレーになるように極限まで難易度を上げるセッティングで行ってきた長年の実験は終わった、といわれました。難しすぎるセッティングは、運不運で優勝者が決まってしまうという要素が強すぎて、ゴルフというゲームの本来の魅力を削ぐ可能性があるという判断をしたのです。

オークモントでも、2回目の全米オープンでは地元の無名のプロが勝ってしまうということがありました。他の開催コースでも、そういうことが何度も起きていたのです。

しかし他の会場に比べれば、オークモントではいわゆる『まぐれ』の優勝は起きていないところに注目してください。それこそが、オークモントが最多の全米オープン開催コースになった理由なのです。実力がある選手が、その技を競い合う最高の舞台であることが全米オープンとして相応しいというのが、現在の全米オープンセッティングの基本となっています。

第116回全米オープンは、6月16日~19日に開催されます。日本のプロゴルファーも5人が参加します。オークモントの洗練された難しさを観戦しながら楽しみましょう。

ゴルフは不思議なもので、知らなければただのバンカーだったものが、知識を得てから見たバンカーは、全く違うものに見えたりもします。

「さすがオークモント。親子の夢の欠片は、しっかりと残っているじゃないか……」

独り言をつぶやいて観る全米オープンは、格別なはずです。

 

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