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2016年全英オープンを10倍楽しんで、ついでにゴルフも上手くなれるって本当??/誰かに話したくなるおもしろゴルフ話

1860年に始まった全英オープン。ゴルフ界において唯一無二のオープン競技として“THE OPEN”と欧米では表記します。

ちなみに、1860年というと和暦では安政7年(万延元年)で、桜田門外の変が起きた年です。書くまでもなく、これをきっかけにして日本は明治維新に向かって加速していきます。

途中何度か中止されたことがあるとはいえ、今年で145回目という全英オープンの歴史はそれだけで十分に偉大です。

あまり知られていませんが、よく使っている『チャンピオンコース』という言葉は、全英オープンが開催されたコースという名誉ある称号なのです。開催したことがないコースが使用するなんて…… とんでもない暴挙で、大間違いなのです。

今年の開催コースであるロイヤルトゥルーンGCは、9回目の開催になります。チャンピオンコースの中でも特別なことがありますので、まずは、その話を紹介しましょう。

リンクスの中のリンクスと呼ばれて

全英オープンの開催コースの中で、ロイヤルトゥルーンは特別だという人が多いのはどうしてなのでしょうか?まずは、その場所が特別なのです。

セントアンドリュースやミュアフィールドのように有名なコースの多くは、スコットランドの東海岸にあるのですが、ロイヤルトゥルーンは西海岸にあります。

第1回から12回まで連続して全英オープンの舞台となったプレストウィックGCも西海岸にありますし、4回開催しているターンベリー・アイルサコースも西海岸にあります。とはいえ、圧倒的にリンクスコースは東海岸に多いので、特別という要素になるようです。

ロイヤルトゥルーンは『リンクスの中のリンクス』と呼ばれています。その最大の理由が、全英オープン開催コースで最も海に近いことが挙げられます。

リンクスといえば、海岸に隣接した砂地の上に作られたゴルフコースをイメージしますが、実際には海岸から少し陸に入った位置にあるのが普通なのです。

しかし、ロイヤルトゥルーンは、スタートホールから右にボールを曲げれば海岸に打ち込んでしまうほどの近さです。全英オープンの開催コースの中では、最も海に近いリンクスであることは間違いありません。

更に、セントアンドリュースのオールドコースのように、1番ホールからホールごとに真っ直ぐに進んでいき、折り返して、18番ホールに向かって戻ってくるという細長い用地にコースがレイアウトされていることも、ロイヤルトゥルーンがよりリンクスらしいと評価されている要因になっています。風の影響を前後半で逆に受けるのがリンクスの基本スタイルということなのでしょう。

もっと明確で特別な要因もあります。ロイヤルトゥルーンは、全英オープンの開催を目指して尋常ではない努力をし続けたコースだということです。

1883年に全英オープンに勝ったウィリー・ファニーは、その後、コース改造やコース設計でその手腕を発揮していました。彼はトゥルーンに移籍して、全英オープンの開催コースに相応しくなるように38年間もコースの改造を繰り返すのです。

「パー3が持つべき、全てを備えた理想のホール」とハリー・バードンが賞賛したことでも有名な8番パー3、通称“ポステージ・スタンプ(郵便切手)”もファーニーの手によるものです。元々の6番ホールと7番ホールの2ホールを統合して、600ヤードのパー5を作り、それに伴って新たに作ったのがパー3の8番ホールなのです。

打ち下ろしの123ヤード。小さなグリーンは左サイドに大きなマウンドがあり、右と前後に深いバンカーが待ち構えています。完成時にはメンバーから難しすぎると不評だったらしいのですが、現在では世界に誇る名物ホールです。

念願が叶って全英オープンが開催されたのは、1923年の大会です。予定していたミュアフィールドがハリー・コルトによるコース改造をすることになり、代役としてトゥルーンが開催コースに選ばれたのです。長年の改造のお陰で、距離があって、タフなコースだと評価されていました。

自らが手塩にかけて作り上げたコースで全英オープンが開催されたのを見届けた翌年、ウィリー・ファニーは天国に召されました。

最後にもう一つの特別があります。

コースが多くないこともあって、スコットランドの西海岸には、ロイヤルの称号を持ったコースがありませんでした。コースの創立百周年に向けて、トゥルーンは各団体に働きかけて、スコットランドの西海岸にあるコースで初めてになるロイヤルの獲得に奔走します。実績と貢献が認められて、百周年にあたる1978年に見事にロイヤルトゥルーンとなったのです。

エリザベス女王がゴルフコースに「ロイヤル」を授与したのは、現在のところ、このトゥルーンだけなので、近年のことでありながら、やはり特別なことだと評価しても良いと思います。

ロイヤルトゥルーンで開催された前回の全英オープンは、2004年大会です。日本で12年間プレーしていたトッド・ハミルトンが優勝しました。

2003年に日本ツアーで年間4勝し、賞金ランキング2位に食い込み、ハミルトンは翌年から米ツアーに参加していましたが、馴染みのある選手がメジャーに勝ったことで日本のゴルファーも盛り上がりました。

あれから10年以上が経過しています。コースサイドの発表によれば、全てのホールをどこかしら改造したそうです。特に強調して発表されたのが、9番、10番、15番で、ウィリー・ファニーがコース改造をした頃のコンセプトを尊重したホールになっているといいます。

ロイヤルトゥルーンGCの歴史を知っていると、詳細はわからなくとも、興味津々になります。

“THE OPEN”は唯一無二

全英オープンは、“THE OPEN”と表記されると説明しました。

正式名称は“The Open Championship” 1860年に第1回大会が開催されたときには、他に同様のゴルフの大会がなかったことから、当たり前のように名称は決まったと伝えられています。

ゴルフ史上最初のプロゴルファーといわれているアラン・ロバートソンは、元々はフェザリーボール(水鳥の羽毛を圧縮して、牛や豚の皮で球状に包んだゴルフ黎明期のボール)を作る職人でしたが、ゴルフの勝負で生涯一度も負けなかった伝説があるほどの腕前を買われて、セントアンドリュースで雇われます。

メンバーのレッスンや賞金をかけたマッチでも評判になり、セントアンドリュースのオールドコースが現在の形になった改造もアラン・ロバートソンが行ったとされ、その影響力は大きく、まさにカリスマ・ゴルファーだったようです。

この伝説の男が1859年に亡くなります。当時は師弟制度が根付いていましたが、アランにはたくさんの弟子がいて、後継者を明確には指名していなかったのです。アラン亡き後のナンバー1を決めようということになりました。

実は、複数のゴルフの決闘が記録に残っているのですけれども、個人の優劣ではなく、所属するクラブや応援してくれるパトロンなどの事情も複雑に絡み合って、なかなか勝負はつきませんでした。そういう中で、最も権威を認められたのが“The Open Championship”1860年の第1回大会だったのです。

全英オープンは第1回から第11回の1870年大会まで、プレストウィックGCで開催されました。初代チャンピオンのウィリー・パークが3回、オールド・トム・モリスが4回、その息子のヤング・トム・モリスが3回。1開催を除いて3人でタイトルを奪い合っていました。

1865年には、オールド・トム・モリスは、アラン・ロバートソンの後任としてセントアンドリュースに戻るのですが、それまでは開催コースのプレストウィックGCのプロゴルファーだったのです。

ちなみに、ウィリー・パークはマッスルバラを代表するプロゴルファーでした。まさに、当時のゴルフの勢力図を絵に描いたような関係だったのです。

1871年の全英オープンは中止となります。前年にヤング・トモ・モリスが三連勝したことで、優勝者に手渡されるチャンピオンベルトが取り切られてしまったからです。

当時は、三年連続で優勝した者にベルトは寄贈されるという取り切りの決まりがあったのです。新たなベルトを用意する案や別のものを用意する案もありましたが、そもそも“The Open Championship”が一つのコースで行われていることへの疑問も高まり、調整が間に合わなかったのです。

話し合いの結果、全英オープンは、プレストウィック、セントアンドリュースのR&A、マッスルバラのオナラブル・カンパニーの3倶楽部の持ち回りと決まり、新しい勝利のシンボルは共同購入したクラレットジャッグ(赤ワインのデカンタ)となったのです。

オールドコースで開催する場合は18ホールを2回。プレストウィックは12ホールを3回。マッスルバラは9ホールを4回。いずれも1日でプレーするという競技方法も決まりました。

1872年の第12回大会はプレストウィックで、ヤング・トモ・モリスが優勝しました。実質は4連勝でした。1873年は初めてセントアンドリュースのオールドコースで、1874年にはマッスルバラで開催されました。こうして、持ち回りの開催の歴史も始まったのです。

全英オープンを見て上手くなる

全英オープンといえば、クラレットジャッグというぐらい有名なシンボルです。このゴルフチャンピオントロフィー(一応、これが正式名称)についてのエピソードも紹介しましょう。

クラレットジャッグには、『1873』と刻印されています。あれ? と思った人は鋭い人です。1年の中止の後、再開された全英オープンは1872年なのに、どうして1873なのか?

1872年の12回大会に優勝したヤング・トモ・モリスには、クラレットジャックは贈呈されなかったのです。間に合わなかったからです。(代わりにメダルが贈呈されました)

クラレットジャッグが最初に贈呈されたのは、13回大会優勝者のトム・キッドでした。ただし、12回大会から使用されたことになっているので、歴代優勝者の名前の最初はヤング・トム・モリスになっています。優勝者の名前が刻まれる台座は、足りなくなるたびに継ぎ足されました。現在は三段目になっています。

このクラレットジャックは銀製です。世界中のR&Aのイベントにも展示されたりしますので、間近で見た人も少なくありません。「百年以上の長い歴史を経ているのに、きれいにしてありますね」と感心したという話も、よく耳にします。秘密があるのです。

1920年から全英オープンの運営、管理責任は全てR&Aが担うことになりました。1927年にアメリカのボビー・ジョーンズがセントアンドリュースで優勝したことをきっけかに大きな変更があったのです。

世界的なヒーローゴルファーだったジョーンズは、最終ホールのグリーンで熱狂的なファンにもみくちゃにされて、胴上げされたりもしました。運営していた委員たちは、このままではクラレットジャッグが破損したり、紛失する恐れがあると考えたのです。

翌年から、保護のために優勝者にはオリジナルではなくレプリカを贈呈することになりました。これは現在でも続いていて、確認できているだけでも4つのレプリカが活躍しているそうです。

R&Aは防犯上の理由と野暮な質問にはノーコメントということで、どこにあるものがオリジナルで、レプリカなのかを明言はしていませんが、同時に並ぶことはあり得ないように厳重に管理しているので、真相を知っているのは数名しかいないといわれています。

そう考えてクラレットジャックを観察すると、妙に黒っぽいものがあったり、蓋の部分が浮いているものがあったりします。もちろん、磨けば見た目は変わりますし、多少の凹みや歪みも修正は可能です。でも、ちょっと面白いので、じっくりと観察することをお薦めします。

R&Aはウィットな仕掛けをすることがあるので、そういう意味でディープな楽しみの一つになるのです。クラレットジャックを手にして記念撮影というイベントが、あちらこちらで開かれる真相は…… あなたはどう思いますか?

最後に全英オープンを見て確実に上手くなるポイントを紹介しましょう。

ゴルフの原点を確認するのが、全英オープンだという意味の話はよく聞くと思います。注目するポイントは二つです。

一つは、転がしの美学です。

グリーンでスピンが効きにくかったり、傾斜が強すぎたりして、プロでも頭を悩ませるのが全英オープンのリンクスでのグリーン周りです。寄せの基本は転がしと頭では知っていても、なかなか実践できないのが一般的なゴルファーです。アマチュアにとって、こういうシーンを見ることができるのは幸運です。

転がしには打ち出しの方向と速度という2点しか技術ポイントがありません。特にパターを使って転がす寄せは、少ない練習でも、判断力と想像力とほんの少しだけ計算ができれば、参考にして実行できる可能性があります。

転がしは美学です。打ってしまえば、あとは見守ることしかできないからです。美学というのは我慢を伴うものですので、全英オープンを見ながらしっかりと学びましょう。転がしが基本となれば、ゴルフの寄せは格段に易しくなります。

もう一つは、トッププロでも不運は乗り越えられない、と見て学べることです。

ボールは地面に跳ねて、低いところに向かって転がるのだと、リンクスは教えてくれます。全英オープンでは、普段は空中戦で点を繋ぐように攻めるトッププロゴルファーさえも思い通りにボールを止めることが出来ずに苦労するシーンがたくさんあります。

ほんの数センチのズレで、狙いとは逆の方向に跳ねてしまうのはミスではなく、アンラッキーのような気がします。アマチュアゴルファーの多くは、そういう全てのストロークに一喜一憂し過ぎる傾向があります。

トッププロを観察しましょう。怒るプロもいますが、それは一瞬です。2、3分後には切り替えて、次のショットに気持ちを集中する準備をしています。多くのプロは、カードゲームをしているようにポーカーフェイスです。本当は喜怒哀楽があっても、それを顔に出さなければ、それだけでコントロールの第一段階は成功しているのです。

運と不運は誰にも平等に訪れます。全英オープンのリンクスでは、それは顕著にボールの行方を左右します。不幸を嘆いても何も変わりません。トッププロゴルファーたちの対応を観察して、真似できることは真似しましょう。気持ちを制した者は、ゴルフを制するのです。

色々と書きましたけど、全英オープンは特別なメジャーです。今回のロイヤルトゥルーンでの大会は、コースの長さなどから日本人ゴルファーに向いているという分析もあります。(個人的にはそうは思えないですけど)

誰が勝っても、一人のゴルファーとして複数の楽しみ方を準備して観戦すれば、全英オープンは何倍も面白い経験になります。色々なものを見て、吸収して、楽しみましょう。

世界中のゴルファーが、同じ時間と空間を共有していると考えるだけでワクワクできることは、21世紀に生きるゴルファーとして幸せなことなのです。

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