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「マムシ」と呼ばれた男、杉原輝雄-日本にいた伝説のゴルファー(3)

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やはり体格の良い選手の方が、ドライバーの飛距離は有利です。身長162センチ、体重60キロの杉原にとって、1957年、20歳でプロになってからずっと飛距離との闘いでした。

それでも通算63回優勝し、1973年に日本ゴルフツアー制度が実施された後も28勝を挙げ、永久シード権も獲得しています。

「どんなフォームでもどんな打ち方をしようが、勝負はスコアで決まる。ぼくの数に対する執念は人より少しばかり強い」(杉原)。

両肘を曲げて、まるで五角形を作るスイングから正確無比なショットを繰り出し、鮮やかなタッチのパットを見せました。

杉原のゴルフ戦略の言葉に、「“後の先”をとって勝つ」があります。剣道用語の“後の先”とは、剣や竹刀を相手と合わせた後、相手が動く気配を見切って、受け、攻撃を繰り出すことです。

杉原にとってゴルフの“後の先”とは、2打目からの攻撃を指していました。杉原は「一番ドライバーが飛ばないプロ」でもありました。ある優勝インタビューで、アナウンサーから

「あの第2打こそはフェアウェイウッドの名手ならではですね」

と聞かれると、杉原はこう答えました。

「ありがとうございます。しかし、私をフェアウェイウッドの名手と呼んでくれるのは、アマチュアの方だけですよ」

アナウンサーが続けます。

「それではプロの間では、何と呼ばれているんですか」

「2打目のオナーです」

ゴルフをされる人なら理解されるでしょう。オナーとは、ホールで最初に打つ人を指します。

この場合、前のホールで一番スコアが良かった人がオナーになります。ところが、2打目の場合、一番飛んでない人から打ちます。

ドライバーが一番飛ばない自分がいつも2打目を打つ、と杉原は自虐的に「2打目のオナー」と言いました。ところが、これが杉原の“後の先”でした。

一番先にに2打目を打つ杉原は、自分の持てる技術すべてを駆使します。

フェアウェイウッドでグリーン手前から転がしてバーディーが狙える位置に止める。あるいは、確実に3打目でピン側に寄せてパーが取れるグリーン横に止める、など。先にバーディーを取って先行するのではなく、常に並んでいることに意味があります。

これをやられると、飛ばし屋ほど焦りが生じてきます。ドライバーで杉原に30ヤードも40ヤードも離していたのに上がってみれば同じパー。ドライバーで「勝った」と思ったのに、同じパーでは「勝った気がしない」。まして自分の2打目が5番、6番のアイアンと、杉原のフェアウェイウッドと比べて有利だったのに、同じスコアでは苦い気分になります。

これが続くと、飛ばし屋は焦って2打目でピン側狙いにいき、グリーン奥にこぼす、引っ掛けるなどのミスを犯してしまいます。

これが杉原流“後の先”をとるゴルフであり、「マムシ」と呼ばれた由縁です。「小よく大を制す」は空手で言われる言葉ですが、同様に柔道では「柔よく剛を倒す」と非力でも強者を倒すことを表します。杉原のゴルフはこの心境に達していました。

もちろんそんな杉原のゴルフを支えたのは、練習量の多さで培った独特のスイングにありました。

極端なストロンググリップ、トップからダウンスイングで全体重を左足に移すスイング。現代ゴルフのスイング理論から外れた一見アマチュアのスイングに見えますが、それでもインパクトではストレートにヘッドがボールを捕えます。

こんなエピソードもあります。

1960年代にあった日米対抗の試合でした。練習している杉原を見たアメリカ選手団は「アマチュアは参加させるな」とクレームを付けました。杉原の変わったフォームでアマチュアと思い込んだのです。

ところが、4日間の試合が終わると個人優勝を遂げたのは杉原でした。今度は、あるアメリカ選手が杉原のところにきて、こう語りかけました。

「スギハラ、一緒にアメリカにこないか?」

続けて「アメリカには大金持ちでゴルフ自慢がいっぱいいる。そいつらは賭けゴルフが大好きで、平気で1万ドル、2万ドルを賭ける。俺がそんなカモを見つけて、オマエの練習を見せる。“この日本人は金持ちで賭け事が大好き。ゴルフの腕前は見た通りだが、平気で2万ドルでも受けて立つ”と言ってやったら、俺たちはアッという間に金持ちだ」

こう言ったアメリカ選手が誰だったか、リー・トレビノとの説も、トム・ワイスコフだったとの説もありますが、もちろん杉原は断っています。

60歳の時、前立腺ガンと診断されましたが、手術すると3か月以上ゴルフができなくなると聞いて手術を拒否。投薬治療も、女性ホルモン薬のせいでパワーが落ちたと感じて止めます。この時期に加圧式筋力トレーニングを始め、レギュラー、シニアツアーに出続けました。

「命は大事だが、ゴルフをしたい。ジャンボ(尾崎)、青木、中嶋と回って勝ちたい」(杉原)。

2006年のつるやオープンで68歳10か月で予選通過を果たし、日本ツアー最年長記録を達成。これは、米ツアーでサム・スニードが記録した67歳2か月をも上回りました。また、2010年中日クラウンズで51回連続出場の同一大会出場の世界記録を達成しています。

2011年、リンパに転移したガンのため74歳で亡くなりました。文字通り、生涯現役を貫いた杉原。ゴルフに人生を捧げた杉原は、まさしく伝説の人となりました。

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