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石川遼プロついに結婚!改めて経歴等を振り返ってみた!

プロゴルファーの石川遼選手が、3月2日結婚したことを発表しました。

おめでとうございます。翌日のニュースでは、この話題で持ちきりになりましたね。

公式サイトや自身のブログで「いつも応援してくれているみなさまに報告があります。かねてからお付き合いをしていた一般女性と、本日入籍したことを謹んで報告させていただきます」と記しました。

お相手である一般女性(24)とは、中学時代からの同級生で幼なじみ。2008年から交際をスタートさせ、2012年には婚約を発表しました。8年の交際を経て婚姻届を提出したのです。週刊誌などで、最近彼女がトーナメント会場に姿を見せなくなったと報じられて、一時は破局したのでは、という噂も流れました。

そのとても気になるお相手ですが、ロングヘアの長身のスレンダー美女なんだそうです。女優の水川あさみさんに似ているとか?大会中の石川遼選手の食事も宿舎で作ったりと、栄養面、精神面でもサポート役となってきました。

石川遼選手は米ツアーに本格参戦4年目ですが、腰を痛めてしまい、現在は帰国して療養中です。精密検査を受けるなどして、埼玉県内の自宅で治療を受けています。日常生活には支障がないようで、負担があまりかからない程度に練習やトレーニングも開始しました。

みなさんもうご存知でしょうが、今回はそんな石川遼選手をお祝いして、ゴルフの経歴などを改めて調べてみました。

ゴルフとの出会い

 

石川遼選手は、6歳のころお父さんに連れられてゴルフ場に行ったことをきっかけに、ゴルフに夢中になっていきました。小学生の頃は、サッカークラブに所属しながら千葉の練習場に通っていました。

中学に進学してからもゴルフ部はなかったので、陸上部に所属して短距離で足の筋肉と体力を付けてきました。運動能力に優れているのでしょうね。鍛えた筋力と持ち前のゴルフセンスで、2004年に全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップで優勝しました。2005年には関東中学校選手権、全国中学校選手権大会・春季大会で優勝。上位に名前が常にあがる選手になっていきました。

2007年、高校生となり、「マンシングウェアオープンKSBカップ」のアマチュア枠に初出場し、ツアー初優勝。史上最年少優勝を達成し一気に注目されるようになりました。男子ツアーでのアマチュア優勝は、1980年の倉本昌弘選手以来の史上2人目の記録でした。

この記録は世界最年少記録(15歳245日)として、ギネス・ワールド・レコーズに認定されました。この時の優勝インタビューでの受け答えがかわいいと大きな反響があり、高校野球で早稲田実業を優勝に導いた斎藤佑樹選手のハンカチ王子にならって「ハニカミ王子」という愛称で有名になりましたね。社会現象にもなりましたね。

数々の大会で成績を残してきた石川遼選手ですが、この年の世界ジュニア選手権では個人で23位。日本ジュニアゴルフ選手権 15歳~17歳の部で史上最年少の15歳11ヶ月で初優勝しました。

その直後に参戦した「フジサンケイクラシック」「コカ・コーラ東海クラシック三井住友VISA太平洋マスターズ」でローアマチュアを獲得。また、「マンシングウェアオープンKSBカップ」での優勝により出場資格を獲得した「ゴルフ日本シリーズJTカップ」にアマチュアとして初めて出場しました。

ハニカミ王子こと石川遼選手、プロ転向

アマチュア時代から素晴らしい結果を残してきた石川遼選手。2008年1月10日プロ転向を宣言しました。史上最年少の16歳3ヶ月でのJGTOツアープロです。また2009年までのシード権も保有していたので、史上最年少のシード選手ともなったのです。

プロ転向してから、しばらく低迷したものの、8月に行われた「関西オープン」で、プロとして初優勝しました。また11月に行われた「マイナビABCチャンピオンシップ」でツアー初優勝しました。

これで2010年までのシード権も獲得。この年の獲得賞金は106,318,166円で賞金ランキングは5位。史上最年少で1億円を突破したのです。数々の活躍により、史上最年少での内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞を受賞しました。

2009年には日本ツアーでの活躍が認められ、4月マスターズ・トーナメントに特別に招待されました。結果は73位で予選落ちとなってしまいましたが、プロゴルファーとしては史上最年少でのマスターズ出場です。

6月、全英への道「ミズノオープンよみうりクラッシック」で優勝して、全英オープンの出場権も獲得して日本人選手権最年少での出場権獲得となりました。優勝候補であったタイガー・ウッズ選手と同組となりましたが、2人とも予選落ちしてしまいました。

8月、「サン・クロレラクラッシック」優勝。9月、「フジサンケイクラッシック」優勝。ワールドゴルフランキングは自己最高の47位となり、史上最年少の17歳11ヶ月20日でのランキングトップ50入りを果たしました。

2009年には海外メジャー3試合に出場して、国内では4勝を挙げ、史上最年少賞金王に輝いています。この年、賞金王・最優秀選手賞・Unisysポイントランキング賞・平均ストローク賞・平均パット賞・バーディ率賞・ゴルフ記者賞・MIP賞・特別賞の9冠に輝きました。史上初の9冠で、石川遼選手の活躍がよくわかります。

都内のホテルでは「2009年度 ジャパンゴルフツアー表彰式」が行われて、普段とは違ったスタイリッシュなスーツ姿で現れた石川遼選手は、

「この9冠は高い目標を持ってプレーしてきた積み重ね。支えてくれたチームのみんなや家族のおかげです」

と感謝の意を表して、会場からは拍手が送られました。まだ高校生でのこの記録は、本当に素晴らしいです。

2013年からは、米国ツアーに本格的に参戦して、米クラブメーカーであるキャロウェイと3年18億(推定)で、正式契約しました。

石川遼 腰痛と戦う

2016年2月、当初は「AT&Tペブルビーチナショナルプロアマ」から3連戦の予定でしたが、腰痛と股関節痛のため直前にキャンセルしました。会場となるペブルビーチゴルフリンクスの練習場で軽く数球打っただけで、欠場を決断したのです。

「バックスイングとダウンスイングの時に、すごい電気じゃないけど、ビン!というのがお尻回りにある。それで満足のいくスイングができなくて、思いっきり打とうとしても力が抜けちゃう」

ということです。その後の大会にもエントリーはしていません。

石川遼選手は、2010年頃から米ツアーに本格的に参戦した2013年頃まで、腰痛に苦しめられていました。なので、腰の痛みを軽減させるようなスイング改造に取り組み、体幹を強化させるトレーニングも行い、徐々に腰痛は回復してきていたように思われたのですが、無念の決断です。

この欠場を決断させた腰痛の原因は、自身は昨年の9月から、以前より20グラム重い90g台のシャフトをつけたドライバーを使用したことしか考えられないと言っています。アイアンも重くしました。これに体がついていけないから腰痛が再発したと考えているようです。もっと飛距離を伸ばしたいと考えて強くクラブを振ってしまうことが、大きく腰痛に影響しているのかもしれませんね。

石川遼選手の平均飛距離は300ヤードですが、米国の選手は骨格も大きく、300ヤードを超える選手はたくさんいます。なので米国で戦うためにも、もっと飛距離を伸ばしたい!という思いが、腰への負担も大きくしているのではないでしょうか。

動画などでスイングを見てみるとわかると思います。実際に石川遼選手の2016年の平均飛距離は、306ヤードまで伸びています。体格に合うクラブで、体格に合ったスイングで飛距離を伸ばすことが一番なのでしょうが、彼の好きな言葉は「急がば回るな!」なんだそうです。

充分にケアしてもらって、また頑張ってもらいたいですね。ファンは願っています。

まとめ・石川遼選手の今季

腰痛が原因で、なかなか成績が伸ばせなくなっている石川遼選手。ですが、過去の成績は素晴らしいもの。CMやテレビ番組にも出演して、日本国内のみならず海外でも最も有名なプロゴルファーの1人です。ハニカミ王子として、大ブームも巻き起こしました。

「これからもプロゴルファーとしてさらに成長できるよう頑張っていきたいと思いますので、ご声援よろしくお願いします」と自身の公式サイトでコメントしました。

治療が最優先とはなりますが、今回のこのタイミングでの入籍した理由は、石川遼選手の決意の現れなのではないでしょうか。

交際時代には、彼女の妊娠説も流れました。実際にはその真実はわかりませんが、妊娠説が流れたり、破局説が流れたり、ゴルフでも私生活でも常に注目されている選手です。結婚の報告でネットやニュースなどは持ちきりとなりました。

彼女に対する否定的なことも囁かれたりもしましたが、その気持ちは2人ともぶれることはなく、結婚となりました。奥さまは石川遼選手の関連の事務所に勤務していて、プロゴルファーとしての石川遼をサポートしています。

小学校の卒業文集に書かれた将来の夢は、“プロゴルファーの世界一”。世界一強くて、世界一好かれるゴルファーになりたいです。その夢はとても細かく、具体的に書かれていました。一つ、一つ確実に叶えてきたことも素晴らしいです。

数々の偉業を達成して、腰痛に悩ませられながらも、さらに成長することを約束した石川遼選手の今季の活躍に期待しましょう。奥さまとの結婚後の写真も楽しみですね。

まだまだ24歳。これから成績があがってくる可能性は十分にあると思います。石川遼選手、米ツアーの初優勝と8月のリオデジャネイロ五輪の日本代表入りをかけて、またスタートします。

プレーするだけじゃ意味がない!

何にせよ、生まれ変わる石川遼選手。それをサポートする奥さまとの二人三脚でのスタートをお祝いして、今は静かに見守りたいところですね。

頑張ってください。世界中のファンが応援しています。

石川遼(Ryo Ishikawa)24歳

 
生年月日 1991年9月17日
身長 175cm
体重 70kg
血液型 O型
出身地 埼玉県北葛飾郡松伏町
出身高校 杉並学院高等学校
所属 CASIO

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