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MADE IN JAPAN がゴルフを変えたことを知っていますか?/誰かに話したくなるおもしろゴルフ話

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ゴルフクラブは約400年前、スコットランドで本格的に作られ始めました。職人による丁寧な仕事で世に出たゴルフクラブは、芸術品のような味わいがあります。20世紀になってアメリカで大量生産されるようになって、生産量は一気に1000倍以上になっていきます。

1900年にアメリカのクロフォード・マグレガー・キャンビ社がアイアンヘッドの鍛造をスタートしてから30年ほどして、日本でも国産のゴルフクラブが生産されるようになりました。MADE IN JAPAN の始まりです。

太平洋戦争に突入し、国産ゴルフクラブは空白の期間がありました。生産が再開されたのは戦後でした。この空白の期間にアメリカ製のゴルフクラブとは圧倒的に大きな差が開いてしまいました。

普通なら追いつくことなど不可能だと諦めるはずなのに、先人たちは挑戦していくのです。

MADE IN JAPANの始まり

Yonex Ladies Golf Tournament 2015 - Day 2

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日本でのゴルフクラブの生産は、厳密には1928年(昭和3年)にアイアンヘッドから始まったといわれています。兵庫件の三木市にあった金物工業試験場にイギリス製のクラブが持ち込まれて、日本でも作れないだろうか、と検討されたのが始まりだったようです。

実際に、ちゃんとした形になるのには2年ぐらいかかって、1931年に日本ゴルフ器具製作所が作られました。これには、仏像や釣鐘を作るための古来から培った鋳造の技術がありました。アイアンヘッドを作るときにこの鋳造技術が活かされました。

凄いのは、同じ頃に民間でも5つのゴルフクラブメーカーが誕生したことです。そのうち、ミズノ、アリガ、マツダは現在でもゴルフ用品業界で活躍しています。

ミズノは1931年に、当時の欧米のゴルフクラブメーカーのビックスリーの一つのウィルソンと販売代理店契約を結び、ゴルフ用品の販売を始めました。2年後の1933年。尼崎南工場でゴルフクラブの製造を開始しました。

ちなみに、アイアンの近代史を塗り替えたミズノの名器『MP-33』の“33”は、1933年にゴルフクラブ製造を開始したという特別な意味を持った数字なのです。

アリガは、素材まで国産にすることにこだわった逸話で有名です。東京の芝浦で練習場を経営しながら、舶来ゴルフクラブの修理で研究を重ねて、ウッドに使われている木がパーシモンで柿の木だと突き止めて、国内の柿の木でヘッドを作ったり、ヒッコリーシャフトの代わりに樫の木でシャフトを作ったりしたのです。研究の成果である自社製のクラブを販売したのは1935年でした。

アメリカで生まれたスチールシャフトは、当初ヒッコリーの代用品として誕生しましたが、1926年にUSGA(全米ゴルフ協会)がゴルフ規則で使用を認めてから、たった10年で世界中のゴルフクラブのシャフトの主流となりました。スチールシャフトを輸入してゴルフクラブを作りたくとも、需要過多でなかなか日本にまでは入ってきませんでした。

1936年にシマダという会社が、国産のスチールシャフトを開発して販売を開始しました。このシマダは、元々医療器具の製造をしていて、その技術でフェンシングの剣を作っていました。その技術がゴルフクラブのシャフト製造にも応用できたのです。

ちなみに、僕がゴルフを始めた昭和50年代前半までは、上級者の中にシマダのシャフトがボールが上がりやすくて好きだ、とこだわって使っている人がいました。中学生ゴルファーだった僕も打たせてもらったことがありました。正直にいうと違いはわかりませんでしたが、違いがわからないというのは性能が劣ってもいないということなので、MADE IN JAPANも捨てたものじゃないということなのだと思います。

ゴルフクラブではありませんが、ゴルフボールの国産も同じ時期に始まっていたのです。

イギリスのダンロップ社は、香港にアジア市場を統括する現地法人を作り、その日本支社が1909年、神戸に設立しました。始めはタイヤを生産していましたが、第一次世界大戦を機に、日本でもゴルフボールの生産準備に入りました。1930年に、国産のゴルフボールの販売を開始したのです。

ブリヂストンは、地下足袋とシューズのゴム底で一気に大メーカーになっていきますが、1931年の会社設立から4年後の1935年にはゴルフボールの販売を開始しています。

興味深いことに、アメリカのゴルフ近代史には、別のMADE IN JAPANのゴルフボールが紹介されています。1929年に岡山県で設立された“ファーイーストゴム会社”です。ダンロップとブリヂストンが国内市場向けの販売だったのに対し、ファーイーストゴム社はアメリカへの輸出がメインだったのです。

『ストラトプラス』『ナイロフライト』などというブランド名で、アメリカ市場で販売されていました。まさにMADE IN JAPAN で、輸出ゴルフ用品の先駆けだったようです。

ファーイーストゴム社は1934年から国内でも販売を開始し、現在は、キャスコがその伝統を引き継いでいます。ゴルフボールは、戦争の影響でゴムが配給制になって製造できなくなりますが、日本の先人たちのチャレンジスピリッツには驚かされます。

昭和期初期に、MADE IN JAPANのゴルフクラブ、ゴルフボールは始まったのです。

キャロウェイがゴルフクラブ業界を変えた

PGA TOUR - 2007 Arnold Palmer Invitational - First Round

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MADE IN JAPANのゴルフクラブが優れている点を挙げていくと、1冊の本が書けるほどの量になってしまいます。細かく説明するとキリがないので、代表的な出来事を紹介したいと思います。

第二次世界大戦後、日本は焼け野原から奇跡的な復興を遂げました。それは、MADE IN JAPANの歴史でもあります。ゴルフクラブに関しては、アメリカのゴルフクラブメーカーのOEM(original equipment manufacturer とは他社ブランドの製品を製造すること)で、密かにMADE IN JAPAN が広まっていきます。

当初は「安いから」という理由でしたが、1980年代になると明らかに「優秀だから」という理由に変わります。1980年代のアメリカのゴルフメーカーが販売したゴルフクラブの約半数は、MADE IN JAPANです。

そんな中で、MADE IN USAにこだわったゴルフメーカーが生き残っていくのですから、歴史は不思議なものです。

アメリカのゴルフクラブ史を支えた“ビッグスリー”は、「マグレガー」「スポルディング」「ウィルソン」です。この3社は、現在では買収されたりしてなくなってしまったり、大メーカーとは呼べない状況になっています。

現在ではビックスリーという呼び方はしなくなりましたけれど、強いてあげれば、「タイトリスト」「テーラーメイド」「キャロウェイ」が3大ゴルフクラブメーカーになるかもしれません。(テーラーメイドは、親会社のアディダスより売却することが発表されましたが)

キャロウェイを取り上げて、説明します。

会社設立は1982年で、当初はヒッコリーシャフトのパターとウェッジに特化したマニアックな会社でした。1989年から劇的に成長して、売り上げ1000万ドルを突破し、1992年には1億ドルを軽々超えました。21世紀に入っても数億ドルの売り上げがあります。

キャロウェイの急成長は、日本のダンロップとの関係があるのです。

キャロウェイは、ホーゼルを短くしてシャフト貫通させて、余った重量をスイートスポットを拡大するためにヘッドのソールとトウとヒールに配分した『S2H2』というアイアンを開発しました。このクラブを日本市場で売るために、販路を求めてダンロップと1987年に代理店契約をしたのです。

ダンロップは、この画期的なクラブに未来を感じて、財政面でもキャロウェイを支えました。ダンロップは、代理店としては異例な対応をします。品質管理を徹底させるために、現地工場に人員を派遣することになるのです。

1980年代、アメリカで生産されたゴルフクラブの品質管理は現在とは比較にならないほど劣悪でした。メーカーはカタログにスペックを掲載しませんでした。設計通りのスペックになっていない製品も流通してしまっていたからです。

ダンロップは、送られてくるキャロウェイのクラブを検品して、品質管理に問題があるものは全て送り返していたそうです。その割合は1割を超えていました。大手メーカーのゴルフクラブでも、クレームがあれば新品と交換すれば良いというのがアメリカ業界の常識だったのです。

ダンロップは、キャロウェイに要求します。

「日本市場ではクレーム率が1%でも、信用が落ちて、相手にされなくなる。徹底した品質管理は、メーカーの最低限の責務なのだ」

キャロウェイは、結局、日本の品質管理を受け入れます。

これだけが原因ではなく、もちろん世に送り出した商品が画期的で、高性能だったからなのですけど、品質管理を徹底する姿勢はアメリカのゴルファーに大絶賛されました。これをきっかけにして、アメリカの他のゴルフメーカーも高い品質管理を徹底することになります。

そして、1991年の『ビッグバーサ』の大ヒットでキャロウェイはアメリカを代表するゴルフメーカーになります。この開発でも、短いホーゼルで余った重量をどうやって使うかという点で、ダンロップとキャロウェイ間で大激論が繰り広げられたそうです。

日本ではメタルウッドを大型化する動きが始まっていて、ダンロップは大きなヘッドにすることを希望しましたが、アメリカでは伝統的に小さなヘッドが好まれる傾向が強かったのでキャロウェイは難色を示したのです。

それでも、ヘッドが大型化すれば、スイートスポットが何もしなくとも大きくなり、易しいクラブになることは物理的には理解できたので、キャロウェイは思い切って、大型ヘッドの『ビック・バーサ』を開発するのです。

現在のドライバーのヘッドは、1980年代のドライバーヘッドの2倍以上の容積があります。これは『ビック・バーサ』から本格的に始まったのです。現在では、多くのゴルファーが、その恩恵を受けてゴルフを楽しんでいます。

MADE IN JAPANの工夫や努力をキャロウェイが認めずに、却下していたら……今日のキャロウェイはないかもしれませんし、ドライバーのヘッドの大きさも小さいままだったかもしれません。歴史に「もしも」は意味がないかもしれませんけど、ちょっと考えてみると面白いです。

1990年代、日本市場に外ブラの嵐が吹き荒れます。外ブラというのは、外国のブランドやメーカーのことです。このきっかけも、キャロウェイの『ビック・バーサ』に始まりました。

舶来品は高級品というイメージがありますが、国産のメーカーより安く入手できて、品質も大差なくなってきたことを日本のゴルファーは歓迎したのです。日本市場において、外ブラは合計しても1割にならなかった時代は終わりました。

1996年に、キャロウェイはダンロップとの代理店契約を解消して、日本法人を立ち上げました。他の外ブラも次々に日本法人を設立して、21世紀になったのです。やや押されているイメージですけど、日本のメーカーの底力はこんなものではありません。今後の巻き返しが楽しみです。

「国産のゴルフ用具なんて真似ばかりで、遅れている」

物知り顔をして、こんなことを言う人たちがいますが、20世紀の終わりから現在のゴルフメーカーの歴史を少し学べば、その主張は間違いであることがわかります。もっと胸を張ってMADE IN JAPANのゴルフ用具を使っても良いと個人的には考えていますし、使わなくとも卑下することはないのです。

蛇足ですけど、僕は外ブラのボールを原則として使用しません。親しい人は「どうして?」と聞いてきます。理由は、外ブラのボールには日本語が通じないような気がするからです。

「止まって!」とか、「当たれ!」とか、ミスショットして思わず声を出してしまったときに、国産のボールはかなりの確率で反応しようとするように見えるのですが、外ブラのボールは、とっさに出る日本語では伝わらないように感じるのです。そんな馬鹿な、という話なんですけど、本当にそう思うのです。

ゴルフは不思議に溢れています。ゴルフ用具も深く付き合えば付き合うほど、理屈では説明できないシーンを体験させられるものです。ゴルファーとして、深く深くゴルフ用具を楽しみましょう。

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