生涯グランドスラムなるか!?ビッグ・レフティ、フィル・ミケルソンの人物像に迫る
- 2016.03.27
- トピック
“ビッグ・レフティ”として名を馳せるフィル・ミケルソン。アグレッシブなプレースタイル、奇跡のようなリカバリーショット、芸術的なロブショット。どれをとっても魅了されてしまいます。
ゴルフだけでなく、ファンサービスの良さや家族への愛など、その人間性も素晴らしく、米国のみならず世界中で絶大な人気を誇ります。
そんな彼も6月の誕生日を迎えれば46歳。今年こそは全米オープンを制し、生涯グランドスラム達成となるでしょうか?
メジャー大会開幕を前に、ミケルソンの輝かしい戦績と、人間味溢れるエピソードをおさらいしておきましょう。
目次
フィル・ミケルソンのプロフィール
Phil Mickelson
生年月日:1970年6月16日
出身地:アメリカ カリフォルニア州サンディエゴ
身長:191cm*
体重:91kg*
出身大学:アリゾナ州立大学
プロ転向:1992年
優勝:PGAツアー42勝(うちメジャー5勝)、欧州4勝、その他3勝
クラブ:キャロウェイ
*サイトによって表記が異なります。
ゴルフクラブを握り始めたのは1歳のころから。父親のスイングを鏡のように見て真似たので、右利きでありながら左打ちとなったのは有名なエピソードです。
大学在学中からその才能を発揮し、1989年、NCAAゴルフ選手権優勝(当時の史上最少スコア)。1990年には全米アマチュアゴルフ選手権を制します。
PGAツアー初優勝も、アマチュアとして出場した1991年のノーザンテレコムオープン。1992年、大学卒業後、鳴り物入りでプロ転向しました。翌年から毎年順調に勝ち星を挙げ続け、当然のように周囲も自身もメジャー制覇への期待が高まっていきます。
しかしもう一歩のところで勝利を逃し続け、ついたあだ名は「無冠の帝王」。屈辱の時代を耐え抜き、ようやく悲願のメジャータイトルを獲得したのは、プロデビューから12年を経た2004年のことでした。
報われた努力、立て続けのメジャー制覇
2004年のマスターズ・トーナメント。最終日に首位タイでスタートしたフィル・ミケルソンとクリス・ディマルコが、ともに前半にスコアを崩し混戦模様に。
アーニー・エルスがこの日2イーグル、1バーディの67でトータル8アンダーと抜け出し、このまま逃げ切りかと思われました。ところがミケルソンがバックナインで猛烈に追い上げ、12~14番で3連続バーディ、16番もバーディとしエルスに追いつきます。
そして迎えた18番、2オンから約5mのバーディーパットを決めてみせたミケルソンが9アンダーとし、ついに「無冠」の称号を返上。見事メジャーチャンピオンに輝いたのでした。
長年のプレッシャーから解放されたミケルソンは、立て続けにメジャータイトルを手中に収めます。
2005年の全米プロゴルフ選手権でwire-to-wireの完全優勝を果たすと、2006年にはマスターズで2度目の戴冠。この時はドロー用とフェード用の2本のドライバーをバッグに入れるというクラブセッティングで話題になりましたね。
ゴルフよりも大切なもの
その後もレギュラー大会で優勝を重ね、プロゴルファーとして順風満帆だったミケルソン。2009年もシーズン序盤にノーザントラストオープンとWGC-CA選手権を勝ち、好スタートを切りました。
しかし5月に愛妻・エイミー夫人が乳がんと診断され、続いて母までもが同じ病名を告げられます。このためミケルソンは無期限の活動休止を発表。幸い早期発見であったため、夫人の後押しで約1ヶ月後には復帰し、全米オープンに出場するも2位タイと惜敗。その後、2人の看病のため再びツアーを一時離脱します。
全英オープンも欠場し、メジャー大会連続出場記録は「61」で途絶えました。家族への愛を公言して憚らない彼にとって、そんな記録はどうでもいいこと。当然の行いでした。
2人が術後安定したため、8月からツアーに戻り、ザ・ツアーチャンピオンシップでシーズン3勝目を挙げています。そして翌2010年マスターズ。最終日1打差の2位タイからスタートしたミケルソンは、5バーディー・ノーボギーで首位スタートのリー・ウエストウッドを逆転し、16アンダーというスコアで3度目の優勝を果たしました。
この優勝は、直接にはミケルソンの神懸かり的なアプローチやパッティングによるものですが、もっと大きな要因は、オーガスタまで応援に訪れたエイミー夫人と子供達の存在でした。
最愛の家族が彼に大きなエネルギーを与えたことは、想像に難くありません。当時のコーチ、ブッチ・ハーモンも「エイミーの応援が大きかった。フィルは実力以上にプレーしている」と語っています。
18番グリーン脇で待っていたエイミー夫人をそっと抱きしめたミケルソンの頬を伝う涙に、思わずもらい泣きしてしまった方も多いのではないでしょうか?この上なく特別な、感動的な瞬間でした。
殿堂入りと全英オープン制覇
2011年11月、フィル・ミケルソンの世界ゴルフ殿堂入りが決まります。
当時メジャー4勝、PGAツアー通算39勝を挙げており、得票率は72パーセント。この得票率を超えるのは、グレッグ・ノーマンの80パーセント(2001年)だけです。同時代にタイガー・ウッズという怪物プレーヤーがいたため、世界ランキング最高位はNo.2止まりでしたが、誰もが納得の決定でした。
2013年には全英オープンを制し、メジャー5勝目を飾ります。ドライバーを抜いたクラブセッティングで戦い、72ホールをアンダーパーで回ったのは彼一人。この優勝は、左打ち選手としては50年ぶりの快挙でした。
親日家の一面も
現在はキャロウェイの顔であるミケルソンですが、1992年から2000年までは、ヨネックスを使用していました。
日本ではカシオワールドオープンに8回、サントリーオープンゴルフに3回出場しています。最高位は1993年のカシオワールドオープン3位です。
親日家であり、日本語も少し話せるそう。石川遼が2009年の全米プロで最終日同組になり「彼からいろんなことを学んだ。日本のことをたくさん知っていて、日本語で話しかけてくれたのが嬉しかった」とコメントしたことがありました。
次世代に受け継がれるもの
ミケルソンといえば、こんなエピソードもあります。ジョーダン・スピースが7歳の頃、父親と一緒にバイロン・ネルソン選手権を観戦中の出来事。ミケルソンの打ったボールが、スピースのすぐ近くに転がってきたのです。
息子をどかそうとする父親を制し、「じっとしていられるかい?」と訪ねたミケルソン。スピースが「はい」と答えると、「それならそのまま座っていていいよ」と、間近でショットを打ったのだそう。そしてパターを打ち終わった後、わざわざ戻ってきて「じっとしていてくれて、ありがとう」とスピースに声をかけたといいます。
待っていたファンのために1時間以上かけてサインをしたり、ファンと視線を合わせて「どこから来たんですか?」などと語りかけたり、観客への感謝を忘れずに接する姿勢は、英雄アーノルド・パーマーから教わったこと。
そしてミケルソンからスピース達へ。ゴルフの精神やファンへのホスピタリティは、これからも脈々と若い世代へ受け継がれていくことでしょう。
残すは全米オープンタイトル!生涯グランドスラムなるか?
2015年末、ミケルソンはコーチをブッチ・ハーモンからアンドリュー・ゲットソンに変えました。スイングをよりオンプレーンにする練習を重ね、徐々に成果が出始めています。
2016シーズンはすでにトップ10入りを3回果たしており、2013年の全英オープン以来の勝利もそう遠くないのではないでしょうか。そしてなんといっても、生涯グランドスラムをかけた全米オープン制覇に、期待が高まります。
ミケルソンの全米オープン2位は、タイも含めて実に6回!今度こそ惜敗の歴史に終止符を打ち、タイトル獲得となるでしょうか?ゴルフの女神様が、愛の人・ミケルソンに微笑んでくれるのを祈るばかりです。