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日本人最強のゴルファーは誰?尾崎、青木、中嶋、AONの軌跡①ジャンボ尾崎編

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尾崎は1970年にプロ入りして国内メジャー、日本プロゴルフ選手権初優勝から日本ゴルフツアー通算94勝、賞金王12回、国内メジャー20勝はいずれも歴代最多記録を誇ります。

その生涯獲得賞金は26億8883万6653円と断トツの1位。2位の片山晋呉、18億4595万9418円に8億4000万円以上の差をつけています。

ちなみに、AONの中嶋常幸は16億6119万3455円で3位、青木功は9億8065万2048円で9位です。

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そんな尾崎ですが、青木、中嶋と比べると、海外で活躍した印象がありません。実際、マスターズでは1973年に8位、1989年に全米オープン6位がありますが、世界に積極的な挑戦をしたイメージがなく、本人も意欲的ではなかったと言われています。

その理由はいろんな説が語られていますが、一つには尾崎独特のプレースタイルにあります。

ラウンド中も圧倒的な存在感でギャラリーを魅了し、ライバル達を凌駕することが自身のエネルギーとするタイプでした。メディアのインタビューなどでも、ビッグマウスともとれる発言をすることが、翌日のプレーへの起爆剤にしていたようでした。外国では言葉の問題で、この尾崎スタイルを貫くことができませんでした。

BRITISH OPEN OZAKI

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そんな尾崎スタイルのエピソードを表しているのが、長年に渡った青木功との確執でした。

1990年、尾崎が優勝した大会でゲスト解説者の青木が「ジャンボおめでとう」と声をかけました。すると、尾崎は「そんなもん強いもんが勝つのは当たり前だ」と吐き捨てたのです。怒った青木は「それじゃあ、次の試合(三菱ギャラントーナメント)でどっちが強いか決着をつけよう」と応じたのです。まさに果たし状です。

三菱ギャランが開かれたゴールデンバレーゴルフ倶楽部(兵庫県西脇市)は、フェアウェイのアンジュレーションや絶妙に配置されたバンカー、大小数か所の池や、自然のまま残された渓流と、屈指の難コース。この最高の舞台で対照的な2人のゴルフが激突しました。

豪快なショットでコースをねじ伏せようとする尾崎。ゲームの流れを読みながら、世界の舞台で培ったショートゲームでスコアメイクする青木。結果は青木が1オーバーで優勝し、尾崎は4オーバー2位タイに終わりました。

ここでも尾崎は試合後、「コースを造るアホにプレーするアホ。同じアホなら刻まな損々」「こんなチマチマしたコース、やってられない」と吐き捨て、青木との仲互いを決定的なものにしてしまったのです。

JUMBO OZAKI

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2人が劇的な和解を果たすのは、2014年の「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」でした。出場予定の青木が左膝痛で棄権することとなり、代役として青木自身が尾崎に手紙で出場を打診したことがきっかけでした。皆が見守る中で固い握手を交わした2人に、会場からはどよめきが上がったほどでした。

2015年には、プロ生活50周年を迎えた青木の祝賀会が開かれました。挨拶で青木は「生涯のライバルはジャンボ尾崎。アプローチ、パットでは絶対に負けないようにと思ってやってきた。ありがとな、ジャンボ」と尾崎を讃えました。登壇した尾崎は「私のライバルはタイガー・ウッズです。ゴルフも顔も俺の方がだいぶ上だ」として、会場を爆笑させました。

さらに、「今年、俺の45周年記念は滋賀の山奥でやったが、あんたは帝国ホテルか。すごいね。安倍さん(晋三=首相)が来るんだから。俺の時のメーンゲストはマダムシンコ(大阪のスイーツ会社社長)だったぞ」と、再度爆笑の渦に。自身に注目を集め、一瞬にして周囲を惹き込んでしまうのは、まさに尾崎のスタイルです。

高校時代は徳島県の海南高校野球部のエースとして、1964年のセンバツ甲子園で初出場初優勝の快挙を達成。1965年、プロ野球西鉄ライオンズに入団するも、同期の池永正明を見て、とても追いつけないと判断して打者転向。それでも一軍では活躍できず、1967年には退団してしまいました。

プロ野球の通算成績は、投手としては2年間で20回登板して0勝2敗。打者として50試合に出場し46打数2安打、打率0割4分3厘でした。

尾崎は当時を「池永に勝ちたいという気持ちが野球を辞める理由だった。野球では負けたけど、違う世界ではあいつを追い抜く」と振り返っています。自分のいる世界では1番でなければ気が済まない、これが尾崎のスタイルであり、ゴルフ界の頂点に君臨できた原点のようです。

ゴルフ転向を決意するや、九州を飛び出して千葉で猛練習に励みます。そして2年4か月後には、プロテスト合格。1970年、プロデビューしてからは破竹の快進撃を果たします。

尾崎は「100を切るのに趣味を捨てた。90を切るのに友達を捨てた。80を切るのに家族を捨てた。70を切ったらすべてが帰ってきた」との言葉を残しています。まさに、トップに君臨することが尾崎の美学なのでした。



こんな尾崎ですが、実は69歳(2016年4月)の現在も現役のレギュラーツアーの選手です。

4月21日に始まった中日クラウンズに出場し、初日になんとあと1打で自身2度目のエージシュート達成となる4バーディー、4ボギーの「70」、43位と注目を浴びました。残念ながら2日目に「87」を叩き、予選落ち。強風でショット、パットとも精彩を欠きました。

「現役であるかぎり、レッスンはやらない、技術書も書かない」とする尾崎はシニアツアーにも参戦せず、あくまでレギュラーツアーに挑戦しています。

まさに生ける伝説、ジャンボ尾崎。プロ47年目になってもその美学を追い求めているのです。

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