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青木功VSジャック・ニクラウス~バルタスロールの死闘~|伝説の名勝負を振り返る

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あなたがゴルフを始めたきっかけはなんですか?

先輩から誘われたり、ゴルフ好きのお父さんの影響をうけたり。人それぞれ、さまざまなゴルフとの出会いがあった事と思います。ここでは、そんなゴルファーの方々がゴルフを始めるきっかけとなったであろう、名場面、名シーンをご紹介いたします。

選手をご存知なくとも、改めてゴルフの素晴らしさを感じていただけるエピソードを紐解いてまいります。

1980年全米オープン~バルタスロールの死闘~

Isao Aoki and Jack Nicklaus during the 58th Senior PGA Championship held at the PGA National Golf Club in Palm Beach Gardens, Florida. April 17-20, 1997. (photograph by The PGA of America).

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1980年。今から約36年前。アメリカはニュージャージー州、バルタスロール・ゴルフ・クラブ。

ゴルフ四大メジャー大会の1つ全米オープン(正式名称:全米オープン選手権)にて“帝王”ジャック・ニクラウス選手と4日間にわたり熾烈な優勝争いを繰り広げた日本人選手がいたことをご存知でしょうか。

Augusta National Archive

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青木功プロ。国内・海外合わせて通算85勝を挙げている“世界の青木”。その試合は“バルタスロールの死闘”と呼ばれ、日本のみならずアメリカでもベストトーナメントの一つとして“今も”語り継がれている。

36年前というと、若い世代のゴルフェス読者の中には「まだ生まれてないし、ジャック・ニクラウス選手や青木功プロの事はよく知らない」という方もたくさんいることでしょう。

逆にシニア世代のゴルファーで青木プロの事を知らない方は一人もいないと思いますし、青木プロの最も印象に残っているトーナメントといえば、“バルタスロールの死闘”であると譲れない方も多いはず。また、この試合を見たことがゴルフを始めたきっかけになったという方も大勢いらっしゃることでしょう。

今回は、この“バルタスロールの死闘”を掘り下げて、もう一度皆さんと一緒に“あの”感動を味わいたいと思います。また、二人の名選手をあまりご存じない方は、新鮮な気持ちでこの名勝負をご覧ください。ゴルフを好きな方であれば年齢、性別は関係なく心に残る何かを得ることができるはずです。

まずは、初めてこのエピソードに触れる方の為に“バルタスロールの死闘”の主人公とも言える二人の選手、青木功プロとジャック・ニクラウス選手の人物像と実績をご紹介しましょう。

青木功プロとは

Panasonic European Open Championship

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“世界の青木”

青木功プロのこの敬称が定着したのは、“ハワイアン・オープン(現:ソニーオープン・イン・ハワイ)”で日本人として初めてPGAツアーで優勝し、同じ年にヨーロピアンツアーの“パナソニック・ヨーロピアン・オープン”に優勝した1983年からと言われています。

独特のフォームから繰り出される正確なショットや、次々と難しいパットを決めてゆく青木プロのショートゲームは圧巻で、海外ではそんな青木プロの技術を“オリエンタル・マジック(東洋の魔術)”と呼んで讃えています。また、ジャック・ニクラウス選手も“100ヤード以内なら世界一”と青木プロのアプローチとパッティングを称賛しているほどです。

青木プロはゴルフとの出会いも独特で、中学時代にキャディのアルバイトをしたことがゴルフを始めたきっかけとのこと。

青木功プロの主な成績は、次の通り。

日本:57勝
日本シニア:9勝
海外:7勝(内PGAツアー1勝・ヨーロピアンツアー1勝)
海外シニア:9勝
海外グランドシニア:3勝
計:85勝

(備考)
日本年間賞金王:5回

この成績だけを見ても、“世界の青木”という敬称が決して大袈裟ではないことが分かります。

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アメリカのシニアツアーでも活躍している青木プロのことを“アメリカ人”と思っているファンも大勢いると言われている程、海外での知名度も高いのです。

コースマネージメントも独特で、基本的には低いボールで転がしてピンを狙うという“攻撃型”。これは“点”ではなく“線”でカップを攻めるという青木プロ独自のスタイルです。分かり易く表現すると、“転がしてカップを攻めればその線上にカップがあれば入る”という理論です。

当然、カップインさせる為にはボールがカップに届かせなくてはいけません。その為、ボールを強めに打つので青木プロのアプローチは大きくオーバーすることが多いのも特徴です。しかし、転がってカップ付近を通過しているので、ラインはすでに確認済み。返しのパットが長くても自信をもって打つことができるということなのです。

逆に高く上げてボールを止めるという攻め方だと、カップの近くにボールを“止める”ことはできますが“カップイン”する確率は転がすよりも低くなります。青木プロのラウンドはチップインが多いと言われていますが、“50ヤード以内のアプローチでは常にカップインを狙っている”という言葉からも、その結果は必然といえます。

青木プロの名言で「ゴルフはゴロフ」というものがありますが、これはダジャレでもなんでもなく、青木プロのゴルフ哲学の一つなのですね!

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そして青木功プロは、2004年に日本人として初の世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。現在も心技体の衰えは感じられず、自身の年齢を下回るスコアで上がる“エージシュート”を積み重ねながら、我々にゴルフの楽しさを発信し続けてくれています。

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ジャック・ニクラウス選手とは

Jack Nicklaus of the USA

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“帝王ジャック・ニクラウス”

1962年。前年に全米アマチュア選手権を制してプロ入りしたジャック・ニクラウス選手は、プロデビューした年の四大メジャー大会の1つ全米オープンで、プロ初優勝を達成しています。プロ初優勝が四大メジャー大会というのも、後に“エンペラー(帝王)”と呼ばれるための布石だったように感じてしまいます。

その後ニクラウス選手はメジャー大会の優勝を積み重ねメジャー通算18勝を挙げており、現在もその記録は単独の1位を維持しています。ちなみに2位の選手はタイガー・ウッズ選手で、メジャー通算14勝となっています。

ウッズ選手の全盛期には「ニクラウス選手の記録を抜くのは時間の問題」と言われていましたが、スキャンダルをきっかけに失速、そして腰痛の悪化なども重なり、いまではウッズ選手がニクラウス選手の記録を抜くのは難しいという見方が強くなってきています。

1966年。ニクラウス選手はプロ転向後わずか4年で四大メジャー大会をすべて制する、いわゆる“キャリア・グランドスラム”を達成してしまいます。この記録は2000年にタイガー・ウッズ選手が達成するまで、なんと34年間も達成する選手が現れなかったことから分かるように、とても達成することが難しい記録なのです。

ちなみに、この記録を達成している選手は5人しかおらず、ジャック・ニクラウス選手とタイガー・ウッズ選手に続く選手はまだ出てきていません。

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ニクラウス選手がゴルフを始めたきっかけは、10歳の時にスポーツ選手であった父親の手ほどきからスタートしたと語っています。その後の上達は目覚ましく、12歳からは5年連続で州のジュニア選手権で優勝しており、“神童”の名を欲しいままにしていたとも語られています。青木選手がゴルフを始めたエピソードと比べると、対照的とも言えます。

ニクラウス選手の主な成績は次の通り。

PGAツアー:73勝
チャンピオンズツアー(旧シニアツアー):10勝
その他:33勝
計:116勝(内アマチュア時代の優勝1回含む)

(備考)
アメリカ年間賞金王:8回
PGA最優秀選手賞:5回
メジャー大会優勝回数:PGAツアー18回、シニアPGAツアー8回。

次々とツアーでの優勝を重ねる中、当時ライバルでもあったアーノルド・パーマー選手が“キング(王)”と呼ばれていたのに対し、ニクラウス選手は“エンペラー(帝王)”というニックネームで呼ばれるようになりました。

この二人のゴルフ界における功績は大きく、ゴルフがここまでメジャーなスポーツにまで発展したのは、この二人のお陰と言っても過言ではありません。アーノルド・パーマー選手のお話は次の機会にー。

Jack Nicklaus

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またニクラウス選手は、トレードマークでもある金髪と精悍なマスクから“ゴールデン・ベア(金の熊)”と呼ばれ、後に“ゴールデン・ベア”はゴルフ商品のブランドとなっています。ニクラウス選手の事を知らなくても、左の胸に金色の熊のマークをつけたウエアを着てプレーしている方も多いのではないでしょうか。

ニクラウス選手は、1974年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。

バルタスロールの死闘

さて、いよいよバルタスロールの死闘の話に入ります。

今回の動画は“生涯最高の4日間~青木功・バルタスロールの夢”という番組を通して、歴史に残る素晴らしいトーナメント“1980年USオープン”をご紹介いたします。

1980年にアメリカはニュージャージー州、バルタスロール・ゴルフ・クラブにて、後に“バルタスロールの死闘”と呼ばれるジャック・ニクラウス選手との名勝負を繰り広げた青木功プロが、14年ぶりに同コースを訪れて実際にプレーをしながら当時振り返るという形で番組は進んでいきます。

1980年に日本で放送されたトーナメントの映像や、ジャック・ニクラウス選手、青木功夫人、その他多くの関係者のインタビューもあり、臨場感たっぷりで構成されており、感動的で素晴らしい番組となっています。

プレーオフにもなっていないこのトーナメントがなぜ“死闘”と呼ばれ、後年にまで語り継がれているのか?この動画をご覧いただければ、誰もがご納得いただけると思います。

ここで内容を細かく解説するつもりはありませんが、三つだけ見逃していただきたくないポイントをご紹介させてください。

一つめは、青木プロがU.S.G.Aゴルフ・ミュージアムを訪れる場面でのこと。館内を歩いていた青木プロのところに、係の方があるものを持ってきてくれました。

それは、1980年USオープンのジャック・ニクラウス選手のスコアカードでした。4日間のスコアカードには、全てニクラウス選手のスコアをアテストした“Isao Aoki”のサインが入っていました。

“アテスト”とは「ストロークプレーの競技の後でスコアを記録するよう委員会によって指名された同伴競技者にスコアが正しいかを確認してもらうこと。正式協議では、常に義務付けられているプロセス」となっております。

つまり、それは青木プロがニクラウス選手と4日間同じ組で熾烈な優勝争いをしたということを証明するオフィシャルな記録なのです。ニクラウス選手の4枚のスコアカードに残る青木プロの4つのサインは、何度見ても感動的です。

二つめは、当時日本で放送されていた映像の中の戸張 捷(とばり しょう)さんの解説です。現在も解説者として素敵な声でアマチュアにも分かり易く、またゴルフ愛にあふれた解説をしてくださっていますが、この時の戸張さんの解説も素晴らしく、青木プロとニクラウス選手に対する尊敬の気持ちがこもった心に残る名解説をしてくれています。

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Panasonic European Open Championship

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そして三つめは、番組内で戸張さんや青木プロ自身も触れていますが、青木プロとニクラウス選手のプレー中の“顔”です。二人とも常に紳士的で、最後まで素晴らしいプレーを披露してくれました。しかし二人の闘争心は凄まじいものがあり、“触れれば切れる”のではないかと思われる程プレーに集中している姿が印象に残ります。

まさに“真剣勝負”です。最高の舞台で、最高の選手が、最高の精神状態で、最高のプレーをする。そんな奇跡が二人同時にあるトーナメントで起こり、そしてその二人が4日間同じ組でプレーする確率とはいったいどれくらいになるのでしょうか?

青木功プロが“夢”と称した奇跡的な4日間に、あなたも立ち会ってみませんか?

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