現役の伝説ゴルファー トム・ワトソン その軌跡と感動秘話
今季最初のメジャー「マスターズ」は、連日首位をキープし連覇濃厚とみられていたジョーダン・スピースの思わぬ失速で、ダニー・ウィレットが逆転優勝を手にして閉幕しました。
日本からただ一人出場して7位タイの成績を残した松山英樹選手は、3日目に一時首位と1打差に迫るなど奮闘。2年連続でトップ10入りを果たし、テレビの前のファンを大いに湧かせてくれました。
華やかな優勝争いの裏で、グリーンジャケットに2度袖を通したあの伝説のゴルファー、トム・ワトソンが「マスターズ」に別れを告げたことをご存じでしょうか?
今回は日本でも馴染みが深く、現在もシニアツアーで活躍を続けるトム・ワトソンに注目!
ゴルフ界で一時代を築いた輝かしい戦績、専属キャディとの感動の実話やトム・ワトソン自らが設計監修を行い、自身の名前を冠した宮崎県のゴルフコースもご紹介しますよ!
●プロフィール
名前:トム・ワトソン(Tom Watson)
生年月日:1949年9月4日(66歳)
出身地:米国 ミズーリ州 カンザスシティ
身長:175cm
体重:79kg
プロ転向:1971年
通算成績:PGAツアー39勝(メジャー8勝を含む)、日本ツアー2勝、その他26勝
クラブセッティング:キャロウェイゴルフ
ウェア:ポロ・ラルフローレン
目次
破竹の勢いで、一躍トッププレーヤーに
父の教えで6歳からゴルフを始めたトム・ワトソンは州レベルのアマチュア大会で複数回の優勝を遂げた後、大学へ進学。ゴルフで大きな成績を残すことはありませんでしたが、卒業と同時に1971年にプロへ転向し、翌シーズンにPGAツアーデビューを飾りました。
初シーズンは賞金ランキング78位の成績に終わりましたが、プロ2年目の1973年には、将来の名コンビとなるブルース・エドワーズをキャディに採用しています。
すると、まずは1974年に「ウエスタン・オープン」でブルース・エドワーズ抜きで(ツアーキャディ帯同が認可されていない大会だった)PGAツアー初優勝を飾り、賞金ランクキング10位へとジャンプアップ。
そして、翌1975年は「バイロン・ネルソンゴルフクラシック」でトム・ワトソンはブルース・エドワーズとのタッグで初優勝(ツアー2勝目)を果たします。さらに「全英オープン」を初出場で制覇する快挙を達成。この年は、4大メジャーの全てでトップ10入りを果たしました。
翌1976年は未勝利でシーズンを終えたトム・ワトソンですが、1977年から1980年代にかけ、次々とタイトルを獲得する快進撃を見せて、4年連続を含み5度(1977、1978、1979、1980、1984)にわたり賞金王に輝きました。特にメジャー大会での成績は圧巻と言えるでしょう。
<トム・ワトソンが制覇したメジャー大会(通算8勝)>
マスターズ :1977年、1981年
全米オープン:1982年
全英オープン:1975年、1977年、1980年、1982年、1983年
全米プロゴルフ選手権:優勝なし(1978年2位)
「全英オープン」では断トツの強さ
その中でも、全英オープンでは最多優勝回数6回のハリー・バートンに続き、歴代2位となる5回を記録しています。
その驚異的な戦績から“全英男”と呼ばれたトム・ワトソン。2度目の優勝を果たした1977年大会でのジャック・ニクラウスとの対決、当時59歳で挑んだ2009年大会で多くの選手が強風でスコアを落とす中、大会史上最年長での歴代最多優勝タイとなる記録をかけ、スチュワート・シンクと激闘を演じたプレーオフを記憶している方も多いことでしょう。
トム・ワトソンは初優勝から40年を迎えた昨年、その「全英オープン」引退を表明しました。
【偉大なる全英男トム・ワトソン】(字幕付き会見映像あり!)
今年限りで「マスターズ」に別れ
シアニツアー(チャンピオンズツアー)で現役を続行している66歳のトム・ワトソンですが、4月に行われた今年の大会でグリーンジャケットを2度手にした「マスターズ」にも別れを告げました。会見で「マスターズ」引退を決めた心中を語るその姿に、涙したファンも少なくなかったはずです。
試合結果はわずか2打差で予選通過こそ叶いませんでしたが、最終18番グリーンで大勢のギャラリーや出場選手らの大喝采に見送られる姿は、“新帝王”と呼ばれたトム・ワトソンに、まさにふさわしい最後の大舞台となりました。
【66歳トム・ワトソンがオーガスタに別れ】(会見映像は字幕付きです)
専属キャディ、ブルース・エドワーズとの感動実話
トム・ワトソンの伝説と呼ばれる足跡を語る時、忘れることができないのは名キャディ、ブルース・エドワーズの存在です。
トム・ワトソンがブルース・エドワーズと出会ったのはプロ2年目の1973年。当時18歳のブルース・エドワーズが練習場で見かけたトム・ワトソンに、「僕をあなたのキャディにしてくれませんか?」と志願したそう。トム・ワトソンはその熱意に打たれ、専属キャディとして採用することを決めました。
当時のキャディの仕事は、主にバッグを担ぐこと。けれど、ブルース・エドワーズは手帳に細かなメモを記して、ラウンド中には的確なアドバイスをしたそうです。いまでこそ当たり前になったキャディに求められる戦略を助ける資質。ブルース・エドワーズは、まさにそれを備えた現代キャディの先駆者だったと言えます。
最高のキャディとタッグを組んだトム・ワトソンは、1975年全英オープン初優勝を皮切りに(同大会ではブルース・エドワーズがパスポートを持っていなかったために渡航できず、代わりに地元キャディが帯同)、以降10年間でなんとメジャー8勝を挙げています。
なかでも、1977年全英オープンに続き、再び帝王ジャック・ニクラウスを倒しての1982年全米オープン初優勝は、名コンビで勝ち取った大勝利でした。
最終日17番の難関ショートホールで、ティーショットを深いラフに打ち込んでしまったトム・ワトソン。2打目を前に、ブルース・エドワーズは「寄せるなんて冗談じゃない。僕ならカップインを狙うね」と助言。トム・ワトソンも、もちろん同じ気持ちでした。
そして、サンドウェッジから放たれた運命の一打は・・・今も伝説のチップインバーディーと語り継がれています。
【1982年全米オープン:トム・ワトソン伝説のチップインバーディ】
ところが1980年代後半に入ると、トム・ワトソンはスランプに陥ってしまいます。不調から出場を見合わせる試合が増えたトム・ワトソンは収入が激減してしまったブルース・エドワーズのことを思い、他のゴルファーのキャディとなることを勧めます。
意気消沈したブルース・エドワーズは当時の世界王者グレッグ・ノーマンからのオファーを受け、トッププレーヤーの元でキャディとして充実した日々を送ることになります。けれど、復調できずに苦しんでいたトム・ワトソンを放っておくことができず、その生活に2年間で終止符を打ちます。
そして、2人は1992年に再び共にコースに立つことを決断すると、それから4年後の1996年「メモリアルトーナメント」で見事に優勝!それはトム・ワトソンにとって、なんと9年ぶりのツアー優勝でした。
互いを必要としていた2人を引き合わせたのは、やはりゴルフでした。名コンビの再結成で見事に復活を遂げたトム・ワトソン。ブルース・エドワーズも再婚が決まり、すべてが順風満帆だったのですが、突然の悲劇が・・・。
【不滅のコンビが2013年全米オープン出場:トリビュー動画】
2002年、ブルース・エドワーズが難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っていることが発覚。症状が悪化する中、キャディ辞退を申し出ますが、トム・ワトソンは
「いや、僕たちのコンビは、ギブアップしない。キミがベッドに寝たままでいたいと言い出すまではね。それとも、僕をひとりでコースと戦わせたいのかい?」(『天国のキャディ 世界で一番美しいゴルフの物語』より)
と答えました。30年もの間、自分を支え続けてくれたブルース・エドワーズを、今度は自分が支えようと心に誓ったのです。
そして・・・あの有名な2003年全米オープン。特別招待枠で出場したトム・ワトソンの横には、バッグを担ぐブルース・エドワーズの姿がありました。大会側からカートの使用を許可されていたのですが、ブルース・エドワーズは自分の足でトム・ワトソンとの最後の舞台に立ちたかったのです。
それを知ってか・・・奇跡が起こります。53歳(当時)のトム・ワトソンが、初日首位に!そして、大会を通して全盛期を彷彿とさせる戦いぶりでトップ争いを繰り広げました。
残念ながら最終日に順位を落とした(28位)ものの、最終18番・・・。総立ちのギャラリーが送る鳴り止まない大喝采は、30年もの長きにわたりトム・ワトソンを支え続けたブルース・エドワーズを讃えるものでした。
【トム・ワトソン&ブルース・エドワーズ:2003年全米オープン】※動画3分頃から
この大会から約10カ月後の2004年マスターズ初日、ブルース・エドワーズは発病からわずか1年4カ月、49歳の若さで永眠されました。トム・ワトソンには、試合開始前のロッカールームでこの訃報が届いたそうです。
トム・ワトソンは親友の死を受け、2005年にALSの研究や患者を支援する慈善団体を設立。現在もゴルフを通してチャリティイベントなどの活動を行っています。
ナイトゴルフもOK!トム・ワトソンゴルフコースって?
トム・ワトソンは日本ツアーの「ダンロップフェニックス トーナメント」で、1980年と1997年の2度、優勝を飾っています。その会場である宮崎県の「フェニックスカントリークラブ」(宮崎県)に、リゾート&ゴルフを堪能できる「トム・ワトソンゴルフコース」があるのをご存じでしょうか?
トム・ワトソンは同カントリークラブを訪れた際、ゴルフに最適な温暖な気候と美しい松林に惚れ込み、新設ゴルフコースを設計監修。そして、世界で唯一自身の名前を冠としたこのコースが完成したのです。
自然の松林を残したフラットな18ホールは、上級者からビギナーまで幅広くゴルフを楽しむことができるカジュアルでエキサイティングなコースです。
近年、全面改装が行われグランドオープン(2013年)を迎えたこのゴルフ場は、全18ホールをワングリーン化。スコア入力やボールの着地点からグリーンまでの距離をチェックできるGPSナビ付きカートを豊富な台数備え、プレーの快適さが追求されています。
さらに、女性への配慮が行き届いたクラブハウスやこだわり素材がうれしいレストランも併設。隣接の宿泊施設、ホテルやコテージ滞在が組み込まれたパッケージプランも提供されています。
2014年からは、全国でも珍しいナイター営業「ホシゾラ ゴルフ」を開始。写真の通り、ライトアップされた夜のコースは、幻想的でとても人気とのこと。
これからの季節、強い日差しで熱中症が気になるも方も、涼しいナイターゴルフなら思い切り楽しめるはず!
次の休暇は、トム・ワトソンのゴルフへの思いが詰まったコースへ出かけてみてはいかがでしょう?